Book of Ti’ana 第1章─岩に響く音

第一章 | 岩に響く音

巨大な水晶のような形をした音響カプセルが岩の表面に埋め込まれた。半透明で円錐形の防音処理された操縦室で、ギルドマスターはその円錐から伸びる腕の尖端に向き合って座っている。右手は注意深く音響器のシャフトに添え、閉じた眼は岩の表面を見据えながら注意深く音を聴いている。
彼の後ろでは二人の若い部下が狭い椅子の上で、集中して目を細めながら反響音の僅かな違いを聞き取ろうとしていた。
「Na'grenis,」(もろいな)
膝の上に何枚も重ねられた図面を左手でなぞりながら、年老いたそのギルドマスターは叫んだ。
このライン上に沿って送りつづけたシグナルは、これで十回目になる。シグナルは次第に強くしており、その反響音は岩の奥深くに浸透して反応に微妙な違いを生み出す。
「Kenen voohee shuhteejoo,」(岩塩でしょうか?)
若い方の部下がためらいがちに言った。
「石灰岩かも…」
もう一人が自信なさげに付け加える。
「この深度でそれはない」
威厳のある声でマスターは答えると、積み重なった透明なシートをめくって目的のものを見つけ出し、赤いマーカーを手に取った。
「ああ…」
二人の部下は同時に呟いた。図面に書き込まれた赤い印が、マスターの言わんとすることをはっきりと示していた。
「別な場所も試してみよう」
しばらくしてマスターは言った。
「この一部だけの可能性もある」
マーカーをラックに放り込むと、装飾が施されている音響装置のシャフトを年季を感じさせる動きで慎重に右へ移動させた。
「同じ強さのパルスを打つ。一度目の後、五十拍待って二度目だ」
ただちに部下の一人がダイヤルを合わせる。
ほんの少しの静寂の後、振動がシャフトを伝って三角錐の先へ伝わっていく。そして、まるで見えない楔が岩に打ち込まれるような、はっきりと澄んだ音が小さな操縦室に響き渡った。

「彼は何をやっとるんだ?」
そう尋ねる客人に、ギルドマスター・テラニスは監視窓から目を離した。
マスター・ケドリは巨体で、不恰好な男だ。立法ギルドの一員であり、ここへは掘削の進捗を監督するために訪れている。
「ギルドマスター・ゲランは岩の調査を行っています。掘る前に、我らの頭の上に何が立ちふさがっているのか知る必要がありますので」
「そんなことは分かっとる。どうしてこんなに手こずっているんだ?」
テラニスはこの不快な男に対する苛立ちで息が詰まりそうだった。しかし形の上とはいえケドリは上司である…いくらテラニスがこのギルドにおける法律であるとしても。
「確かなことは言えませんが、彼はおそらく火山物質の区画に突き当たってしまったのではないでしょうか。断層線からの溶岩由来の玄武岩、もしくは小規模の貫入(マグマが通ったあとで冷えて固まった部分)かもしれない」
「それが問題なのか?」
テラニスはつとめて丁寧に微笑んだ。
「そうなるかもしれない、ということです。もしそれが小規模なものであれば気にせず掘削してしまえます。しかし我々はまだまだ深いところにいて、頭上には大量の物質が存在します。地圧はすさまじく、我々を押し潰すことはありませんが不便を生じさせ、数ヶ月とはいいませんが数週間程度の遅れが発生する可能性があります。ですから、何が上にあるのかを特定することは大事なのです。」
ケドリは不機嫌になった。
「まったくの時間の無駄にしか見えんな。岩は硬い、そうだろう?」
「もちろん、たいへん硬いです。しかしポイントはそこではありません。ただ単に地表まで穴を掘ることだけに狙いを絞れば、数週間で達成できるでしょう。しかしそれが私たちの仕事じゃありません。永久に…とはいかないまでも、それくらい長く使えるトンネルを作らなければならないのです。岩の機嫌次第ですけどね!」
しかしケドリはまだピンとこない様子である。
「進んだと思えばすぐ止まる!この待ち時間には気が狂いそうだ!」
この仕事に合わない者であれば、そうなるかもしれないな…とテラニスは思う。だがテラニスの知る限り、あらゆるドニのギルド員はもともとこういう仕事に向いている。
「私たちは辛抱強い民族ではありませんか、マスター・ケドリ」
彼を怒らせるかもしれないなとは思ったが、テラニスは続けた。
「我慢強く、やり遂げる。千の世代を超えて続く私たちの気質を捨て去ってしまうのですか?」
ケドリはぶっきらぼうな返事をしたが、テラニスの目に挑戦の色を認めると頷いて、
「いや、君は正しいよ、ギルドマスター。悪かった。おそらく我がギルドは間違った人選をしたのだろう」
おそらく…テラニスは思ったが、あえて朗らかに言った。
「そんなことはありませんとも、マスター・ケドリ。あなたはきっとやり遂げますよ、約束します。きっと暇を感じていられないほど忙しくして差し上げます。そうだ、私のアシスタント、アトラスを側に付けましょう。」
まるで最初からそれを待ち望んでいたかのように、ケドリはたちまち笑顔になった。
「それはありがたい!マスター・テラニス。実にありがたい」

掘削機エクスカベーターは静まりかえり、やわらかな光を投げかけていた。
通常、休憩中の若い作業員のおしゃべりで満ち溢れる細い廊下も、監視官がやってきてからというもの、そのやり方を忘れてしまったように奇妙な静けさを湛えている。
若いギルドマンがその長い廊下を歩きながら、注意深く辺りを見回した。いつもはあたりまえの風景なのに、今日ははまるで知らない場所のようだ。ここはエクスカベーターの先頭エリアで、先端に取り付けられた巨大なドリルのすぐ後ろにあたる。ギルドマスターの居室があり、その隣には緊急時には自動的に封鎖される隔壁を挟んで製図室がある。そのむこう、左右へ伸びる通路の先は機材室となっている。
エクスカベーターはその内部に全てを備えていて、例えるなら海における船のようなものだ。振動対策がなされたカップボードや戸棚にはさまざまなものが収められているが、この機材室はまるで武器庫のように、作業のための道具が裸のまま置かれている。整然とラックに並べられた巨大な削岩ドリルや大理石破壊用のシリンダー、防護ヘルメットや分析チューブ。
その若いギルドマンは立ち止まり、歩いてきた通路を振り返った。背が高くがっちりとした体格で、真面目な雰囲気を備えている。彼が身にまとう暗赤色のジャンプスーツはぴったりしすぎない程度に体にフィットしており、腰には黒革のツールベルト、同じく黒革のブーツ。この遠征隊のメンバーが身に付ける制服だ。
きれいに短く切りそろえられた明るい黒髪は筋の通った目鼻立ちを際立たせ、鋭く青みがかった瞳は高い観察力と知性を感じさせる。
壁の曲線に沿って三段ずつ…全部で十八の寝台が並ぶ船員室を通り過ぎ、また別の隔壁をくぐり、食堂へと入っていく。
夕食の準備をしていたこの船の料理長、マスター・ジェラールがそれに気づいて笑みを浮かべた。
「よう、アトラス。またこんなに遅くまでやってたのか?」
「ええ、マスター」
ジェラールはまるで父親のようににっこり笑った。「実験に夢中になりすぎると晩メシを忘れちまうのは相変わらずだな。何か食い物が欲しいんだろう?」
「お見通しですね…ありがとうございます」
「いいさ。熱心な若いギルドマンを見るのは悪くない。とやかく言うつもりはないが、お前の同僚の中には指示書を実行するだけで十分、それ以上何もしないって奴もいる。でも周りはそういうことに気づくもんだ」
アトラスは微笑んだ。
「そうさ、俺のことをアホだと思っている奴もいるがな、アトラス。こんな小さな船じゃ簡単に耳に入ってくる。だが俺だってずっとコックやってた訳じゃないんだぜ?今のお前みたいに、測量士目指して岩やら石やらについて相当訓練を受けたもんだ。その知識はまだ頭のなかにしっかり残ってる…ただまあ、合わなかったんだがな。いや、正確に言えばもっと自分に合った仕事を見つけたんだ。それが料理人だったって話さ」
「マスター・ジェラールも訓練をされていたのですか?」
「ああ。俺が地質学に詳しくもなんともないのに、上層部が今回のような遠征に帯同させてくれたと思うか?」ジェラールはにやりと笑った。「俺が二十年近く圧力学を専門にしていたってのが大きかったと思うぜ」
アトラスはジェラールをじっと見つめ、首を横に振った。「知りませんでした」
「まあそりゃそうだろう。今は、お前が俺の料理を喜んでくれているなら満足さ」
「もちろんですよ!」
「ありがとよ。そんじゃ待ってろ、すぐ何か持って行ってやるからな」
アトラスは食堂を出て、浴室・標本庫と通り過ぎて船の最後尾部分へ向かった。
廊下の突き当りには常に閉ざされている金属扉がある。ハンドルを下げると、扉はシュッと音を立てて開いた。部屋の正面に一つだけ灯っている明かりが、湾曲した壁から腰の高さにせり出している矢じりのような形の作業台を淡く照らしている。その上下ともに備え付けられている数えきれないほどの小さな収納棚の中には、分析に使用するさまざまな備品・薬品が収納されている。
アトラスは作業台に近づき、ノートを広げるとすばやく収納棚から必要な物を選んで取り出した。
ここは彼の好きな場所だ。ここにいる間は他のすべてを忘れ、純粋な発見の喜びに浸ることができる。
アトラスは手を伸ばし、ランプの中のファイヤーマーブルを爪で軽く弾いた。輝きを増した明かりの下で、彼は再び作業の続きにとりかかるのだった。

「アトラス?」
アトラスは驚いてレンズから目を離し振り向いた。ドアの開く音に全く気づかなかったのだ。そこにはジェラールが夕食の盆を持って立っていた。焼きたての食事の匂いに、アトラスはごくりと喉を鳴らした。
「なにか面白いもんでも見つけたか?」
アトラスは盆を受け取りながら頷いた。「ご覧になりますか?」
「いいのか?」ジェラールはレンズを覗き込み、しばらく観察したあとで顔を上げた。不思議そうな顔をしている。
「タキライトじゃないか。お前みたいな若者がなんで玄武岩質ガラスなんぞに興味があるんだ?」
「溶岩に関係するものはなんでも興味があるんです」アトラスは目を輝かせた。「将来は火山現象を専門にしたいので」
ジェラールは腑に落ちたというふうに微笑んだ。「熱と圧力のすべて、か?お前がそんなにロマンティックだったとは知らなかったな!」
食事を口に頬張ろうとしていたアトラスは手を止め、驚いたようにジェラールを見つめた。自分の入れ込みようを見た同僚はいろいろな形容をしたが、ロマンティックというのは初めて言われた。
「そうさ。こいつが形成される様子を一度でも見たやつは、他の何を見たってその半分も驚きゃしない。超加熱された岩とキンキンに冷えた水の出会い!すげえ組み合わせだ。このヘンテコな半透明の物質は、そんな劇的な出会いの産物なんだ」
ジェラールはふたたび微笑んだ。
「ドニができてまず最初にとりかかったのが、熱と圧力を学ぶことだった。もっとも旧い、探究心の在り処だ。アトラス、その強い思いは、お前が真にドニの子だってことさ」
アトラスは微笑み返した。
「もっとたくさん話しておくべきでした、マスター・ジェラール」
「マスター・テラニスなんかに比べると、俺の知ってることなんかちっぽけなもんだぞ、アトラス。そうそう…そのマスター・テラニスが、お前が長いこと姿が見えないと言ってたんで、俺は食事をさせたあとで部屋に行くよう言っておく、と約束したんだ」
「マスター・テラニスが僕を待っておられるのですか?」
ジェラールは料理を指さして言った。「食べ終わってからな。今お前が行っちまうと、俺の料理がマズかったかと勘ぐっちまう」
「もちろんです、マスター!」そう笑って、アトラスは料理にかぶりついた。

アトラスはテラニスの居室の前で一度深呼吸した。そして扉をノックすると、部屋の中から落ちついた威厳のある声で返事があった。
「入りなさい」
アトラスは重い扉を開いて部屋に入った。振り向いてしっかりと閉じる。これはこの船のルールで、常に徹底されている。緊急時、全てのドアは炎や有毒ガスに対する隔壁の役割を持っているからだ。テラニスに向き直ると、どうやら最新の測量図を見ていたようだ。テーブルを挟んでマスター・ゲランがおり、その他にも室内には四人の人間がいた。三日前に合流してきた監察官たちだ。アトラスは彼らの前に進み、一礼した。
「お呼びでしょうか、ギルドマスター?」
「ああ。だが少し待ってもらえるか、アトラス。マスター・ゲランとまだ話があるんだ」
アトラスは頭を下げた。ふと、監察官の一人、巨体の男が自分のことをじろじろ見つめているのに気づいた。
「続けよう、ゲラン」テラニスはそう促し、広げられた測量図に引かれた明るい赤色の線を指し示す。
「この区画を避けたほうがいい、というんだな?」
盲目のゲランは頷いた。「その区画自体は小さいもんだが、周りの岩の密度が低くて崩落しやすくてな…もちろん突っ切ってしまって両側を支柱で補強してもいい。だが儂は、この反対側にはもっと広い範囲で存在しておるんじゃないかと思う」
「なぜそんなことが分かる?」巨体の監察官が横から口を挟んだ。
ゲランはその見えない目を監察官に向けて笑った。「絶対だとは言いませんがね、マスター・ケドリ。しかし儂の直感がそう言っておるのです。これは火山構造の一部分、もっともっと大きな火成岩区画のほんの先端なのだと。木の根を想像していただきたい。あのようなものです。エクスカベーターはこういう不安定な所じゃなく、支える必要のないほど硬い岩を掘りすすむのが向いております。そういう岩を探します」
ケドリはよくわかっていないようだった。「しかし、君の仕事はなんでも支えることだろう?」
テラニスが答えた。「支えますとも、マスター・ケドリ。しかし前にも申し上げたように、我々はとても慎重です。マスター・ゲランの長い経験がそうすべきだと言っているのなら…上へ掘り進む前にいったん横へ迂回するのがよいと考えます。いずれにせよ、不測の事態は避けるべきです」
「どれくらいかかるんだ…その遠回りには?」
テラニスは微笑んだ。「一週間か、二週間でしょう」
ケドリは不満気ではあったが、何も言わなかった。ほっとしたように、テラニスはふたたびゲランの方を向いて言った。
「君の案に同意する、マスター・ゲラン。一度戻って横へ向かおう。すぐに測量の手配をしてくれ」
「儂がやるよ、ギルドマスター」
ゲランは笑顔でそう言うと、部屋を出て行った。
「アトラス、前へ」
アトラスは先程までゲランが居た場所まで進み出た。
「今後十一日間、お前にギルドマスター・ケドリの補佐役をしてもらいたい。我々の作業を見ていただき、我々が何をしているのかをご説明さしあげるのだ。お前にも不明なことがあれば、それがわかる者に尋ねるんだ。質問は?」
「いえ…」アトラスは驚いたが、頷いた。そして少しためらったが、質問した。
「私の実験はどういたしましょう?」
テラニスはケドリに顔を向けた。「マスター・ケドリ次第だ。もし許可がいただけるようであれば、継続してはならない理由はない」
「実験とは何だね?」
ケドリの質問にアトラスは俯いた。言うべきではなかった。
「大したことではありません、マスター」
「いやいやアトラス君、私は興味があるんだ。どんな実験なのかね?」
アトラスは恥ずかしそうに顔を上げた。「火山岩の研究をしているのです。その性質や形成について、出来る限りのことを理解したいと思いまして」
ケドリは感銘を受けたように、「それはすばらしい、アトラス君。もしよければその実験を見せてくれないか?」
アトラスはテラニスを伺った。しかしテラニスは関係ないというふうにゲランの測量図のページをめくっており、この話を切り上げてくれる様子はない。
部屋に控えている他の監察官たちもアトラスをじっと見ている。
アトラスは観念して言った。
「仰せのままに、ギルドマスター」

遠征隊が休息を取っているこの空間は完全な球形をしており、二台のエクスカベーターが並んで停止している様子はまるで駅のように見える。エクスカベーターの長く曲がりくねった形状は、まるで節のある巨大な芋虫のようだ。掘削作業中でない現在、その外壁は磨きあげれられ、鈍い光沢を放っている。
格子状の上層デッキから金属の梯子を降りた所にある小さめのデッキは、一時的な訪問客によって部屋を追い出されている遠征隊の若手メンバーたちの場所になっていた。
長い一日を終え、ケドリへの説明に疲れきったアトラスがそこへ戻ってきたのは、同僚たちが皆寝静まった頃だった。ここにいるメンバーは三十六人、三十歳以上の者はいない。皆アカデミーの卒業者で、この遠征にはボランティアでの参加だ。何人か脱落者が出て多少顔ぶれは入れ替わったものの、三分の二は当初からのメンバーが残っている。
二年と四カ月か…。アトラスは布団がわりのマットに座り、靴を脱ぎながら考えた。家を離れてからもうそんなに経った。もちろん家に帰ってはならないという訳ではない。テラニスに願い出れば許可されるだろう。しかしそれはなんだかずるいような気がするのだ。望めば家に帰れる、そんな探検が本当の探検と呼べるだろうか?
もう片方の靴を脱ぎ捨てて、不意にアトラスはデッキに伝わってくる振動を感じとった。少し遅れて、振動は低く不明瞭な轟音を伴うようになった。
輸送車メッセンジャーが来た!
現在この遠征隊は、ドニの大空洞から離れた場所に存在する比較的小さめの空洞から数マイル岩を掘り進んだ場所に位置している。もちろんドニから真上に、鉱山の立坑のように地表まで直接掘り抜くことも可能だったが、それは得策でないというよりもむしろ危険であるという理由で却下された。よりよい計画…最終的に評議会の承認を得た計画とは、かなり迂遠なルートを、最大仰角三、八二五トラン(二二・〇三二度)で掘ることだった。
人が歩いて通れるように。
そして、いつでもゲートを閉じて防衛できるように。
轟音はゆっくりとしかし確実に大きくなり、もうタービンエンジンの音まで聞き取れる。
遠征隊はこれまで、一区画…百数十メートルごとにまず測量を行ってからドリルで掘り、内壁を厚い石でコーティングしてきた。そのコーティングに用いられる石は大理石よりも硬く耐久性をもつ特別なドニの石だ。そして最後にそれぞれの区画の天井へ、重い石のブラケットを備え付ける。このブラケットを通じてドニからの空気が供給されているのだ。
それぞれの直線状の区画と区画の間には「要室ノード」と呼ばれる球状空間─マスター・ゲランやその部下たちが地表へ向かうための次の測量を行っている間、遠征隊メンバーが休息を取ったり各々の実験などを進めたりして過ごす─が作られ、それぞれの要室の入り口には、すぐ閉じることのできる気密隔壁が備わっている。
今や轟音は要室いっぱいに鳴り響くほどになった。しばらくするとエンジンが切られたようで、輸送車の減速に伴ってタービンが発する鳴き声のような音に変わり、その音もしだいに小さくなっていった。
立ち上がったアトラスの視界に、トンネルの入り口、その分厚い襟石の奥から金属の鼻を覗かせて輸送車が入ってきた。車両正面の防塵シールドを通して運転手の姿もはっきり見える。
それは連結された三つの車両からなる、巨大なトラックのような乗り物だった。スマートなエクスカベーターと並べて見ると、ますます不格好な外観だが、アトラスはこれを見るといつも嬉しくなる。さまざまな物資を補給できる(ドニからこのトンネルへ「接続」技術を使って物資を直接転送することはできない)からだけでなく、家族からの手紙も運んできてくれるからだ。
「アトラス、今何時だ?」
同僚のジェニールが寝床から起き上がりながら尋ねた。
「九ツ鐘」
脱ぎ捨てたブーツを再び引き寄せながら答える。
他の皆も輸送車の到着に気づいて起きだしつつあった。あるものは梯子を登り始めている。荷降ろし作業があるためだ。
アトラスは現在その当番からは外れているが、梯子を登っていくメンバーの後についていった。何か自分に届いているかもしれない。
前回輸送車がやってきたのは三日前だったが、それは予期せぬゲスト、評議会から送られてきた監察官たちを運んできただけで他には何も載せてなかった。その前は三週間前だった。三週間、まったくドニと隔絶していたのだ。
輸送車は二つのエクスカベーターの間に停車した。すでに四人の乗員がいそがしそうに動きまわっている。輸送車の真ん中の車両からはそれぞれのエクスカベーターへパイプが繋げられ、機械部品や備品、ドリルの刃、燃料や冷却液などの移送準備ができている。
あくびをしながら、アトラスは輸送車へ近づいていった。輸送ギルドの若い配達員は皆なんとなく親しみやすい性格をしている。そのうちの一人が声を掛けてきた。
「いよー、アトラス!お前に小包が届いてるぜ!」
「小包?」
その配達員は、アトラスの同僚の一人によって左手のエクスカベーターへ運ばれていく大きな網のバスケットを指し示した。
アトラスは振り返ってそれを見ると急いで駆け出し、そこへ現れたテラニスとあわやぶつかりそうになった。
「アトラス!何をそんなに急いでいる?」
「申し訳ありません、ギルドマスター。私に小包が届いていると聞いたもので」
「ああ、そういうことか」
テラニスは立ち去ろうとしたが足を止め、少し声を落として尋ねた。
「ところで…お客様の様子はどうだ?」
疲れます…そう答えたいところを何とかこらえて言った。
「好奇心が強い方ですね」
そして同じく声を潜めた。
「それと…想像力が豊かです」
テラニスは眉をひそめた。「想像力が豊か?」
「私たちは慎重すぎると、そう思われているようです。我々の手法は、そう…非能率であると」
テラニスは少し考え込んだ後、頷いた。
「ちょっと打ち合わせをしたい、アトラス。明日早い時間、マスター・ケドリのところへ行く前に。お前にも知っておいてもらわないといけないことがある」
アトラスは頷いた。「では三ツ鐘にお伺いします」
「よし、三ツ鐘だな。じゃあ小包を受け取りに行って来い」

製図室では配達ギルドのマスター・テジャラがテーブルを一時的に拝借して配達物の仕分けをしており、部屋に入ってくるアトラスに気づくと、顔を上げた。
「おう、アトラス。調子はどうだ」
「良いですよ、ギルドマスター」
「聞きつけたみたいだな?」テジャラはニヤッと笑う。
「さて、何のことでしょう」
そう言いつつアトラスの目はテーブルの端に載せられている大きな四角い包みに釘付けになっていた。布で包まれ、縫いとめられている。
「そらよ」テジャラはそう言って包みをアトラスに手渡した。
受け取って、その重さに驚く。中には何が入っているのだろう、耳を当てて軽く振ってみると、小さなチャイムのような音がした。
テジャラが笑いながら尋ねる。「どうする?ここで開けるか?」
アトラスは少しためらってから、包みをテーブルに置くとツールベルトから細いノミを取り出し、縫い目を開きにかかった。布が取り払われる。
中身は木製の箱だった。スライド式のパネルになっている上面を開けて中を覗き込む。
「なんてことだ!」
アトラスは手を差し入れてゆっくり中身を取り出した。
それは金色に輝く携帯用の秤の一式だった。
すばらしい造りだ。一流の職人によるスプリング機構、柔らかな光沢を放つ金属が、小さな銀色のドニ数字とともに並んでいる。
それだけではない。秤を注意深くテーブルに下ろすと、箱の中にふたたび手を差し込み、ローズウッドでできた手のひらサイズの平たい箱を取り出した。
箱を開いたアトラスはもはや言葉を発することもできなかった。
現れたのは一組の地質学用コンパスだ。小さな目盛りを読み取れるよう取り付けられた水晶レンズを指先で優しくなぞる。アトラスはしばらく黙ったまま、小さく透明なダイヤルやコンパスの上面に嵌め込まれた精巧な円形アタッチメントを眺めまわしていたが、わけがわからないというふうに頭を振った。
「誕生日か、アトラス?」
テジャラが尋ねる。
「いえ」
アトラスは戸惑いつつ答え、もう一度箱のなかに手を伸ばした。封筒だ。「ギルドマン アトラスへ」と見慣れない字で記されている。
眉をひそめてテジャラを見るが、肩をすくめるだけだ。封筒を開くと、折りたたまれた一枚の紙が入っていた。

アトラスへ

学校での日々を覚えているだろうか。俺たちは親友とはいえなかったかもしれないが、お互い若く、二人の間にはなにかしらの誤解があったように思う。
最近、父の書類の中に君の報告書を見つけ、あの不幸な日々を思い出した。そして、おそらく低いであろう俺への評価を変えなければと思ったんだ。
同封した贈り物が気に入らなければ、許して欲しい。できればそれらに込められた思いを汲んで、受け取ってもらえたらと思う。
君の仕事が上手くいくことを祈っている。友情を込めて。

ヴェオヴィス

「ヴェオヴィスからだ…ラケリ卿の息子の」
アトラスは驚いて顔を上げた。テジャラも驚いたようだ。
「ヴェオヴィスと友達なのか?」
「いえ。…いえ、少なくとも学校では友達じゃありませんでした」
「なら、このプレゼントにはびっくりだな」
「…衝撃です。人は変わるということでしょうか?」
テジャラは強く頷いた。
「お前もわかってるだろう、アトラス。『時は多くのことを教える、私たちが掘るこの岩のように』、さ」
古いことわざだ。アトラスは微笑んだ。
おっとそういえば…と言いながら、テジャラは配達物の山に向き直った。
「忘れるところだった。あと三通、お前に手紙が届いてるぞ」

アトラスは横になったもののなかなか眠れず、要室のなめらかなカーブを描く天井を見つめながら、さきほどの贈り物の意味について考えた。
その他の手紙はいつも通りの家族からの手紙だった。母からは、母の友達とのおしゃべりの内容について。父からは評議会に関する問題についてのニュース。しかしアトラスの思考はやはりあの手紙に戻ってしまう。
ヴェオヴィスの手紙、本当に彼があれを書いたのだろうか?あの贈り物も…まったく驚くべきことだ。
しかも、秤もコンパスもアトラスが今最も欲しいと思っていたものだった。もちろんここには秤もコンパスもたくさんある。しかしそれらはアトラスのものではない、ギルドの共有物なのだ。そしてヴェオヴィスに贈られた道具はそのどれよりも素晴らしい、そう、マスター・テラニスの持っているものと同じくらい良いものだったのだ。
ようやくアトラスは眠気に包まれ始めた。夢うつつに学生の日々が浮かぶ。十三歳…ヴェオヴィスの絶え間ない嘲りに疲れていた頃。多少変わっているかもしれないが確たる信念によって、アトラスはヴェオヴィスと対立したのだった。
マスター・テラニスに揺り起こされて、アトラスは目覚めた。
「三ツ鐘が鳴ったぞ、アトラス。話をしよう」

テラニスは扉に鍵をかけてから机に座り、アトラスを見上げた。
「よし、アトラス。マスター・ケドリに随行してどうだった?」
アトラスはためらった。言葉に迷ったせいではなく、不快な気分にさせるこの任務そのものが嫌だったからだ。
テラニスはなだめるような口調で言った。
「彼は我々のやり方を非能率と感じている…そう言ったな」
「ええ、その通りです。彼はずっと、我々の手法がいかに遅いかということについて喋っていました。用心深すぎると」
「お前はどう思う、アトラス。我々のやり方は杓子定規にすぎると思うか?」
「いいえ全く。急ぐ必要はどこにもありません。地上に到達するのが今年だろうが来年になろうが構わないのですから。一番に考えるべきは安全です」
テラニスはじっとアトラスを見つめた後、頷いた。
「その通りだ。アトラス、いくつか話しておくことがある。まずは…お前はこの任務、本当は嫌なんだろう?」
そんなことは…と言いかけるアトラスを遮るようにテラニスは手をあげた。
「いや、アトラス、いいんだ。あのマスター・ケドリを世話するんだ、大変に決まってる。だがお前を選んだのには理由があるんだ。あの素敵なマスターは我々に対して、いろいろな話題を通じて探りを入れているんだ…我々の態度を測っていると言ってもいい」
アトラスはぞっとした。
「私は言動に注意すべきということでしょうか、マスター」
「いや、その必要はない。お前が彼の機嫌を損ねることを、私は全く心配していない。だからこそお前を選んだんだ。実に信用できる、そう『玄武岩のようにとことん硬い』というやつだ。…だが、もし良ければ私を手伝って欲しい。マスター・ケドリがここを去る日まで毎日、彼が興味を示した点について書き留めておいて欲しいんだ」
「…理由を伺ってもよろしいですか?」
「いいだろう。だがこの話は決して誰にも話さないでもらいたい」
テラニスはそう前置きした上で、理由を話し始めた。
「ひと月後、ドニ評議会で会議が行われる。…情報によると、老議員の何人かが心変わりをしたらしい。彼らは長いあいだ地上人との接触の是非について迷っていた。そして今になって当初の想像ほど良いものとは思えなくなったと言い出したのだ。事実、彼らはこの遠征の中止すら求めている」
アトラスは思わず机に拳を叩きつけた。
「そんな!」
テラニスは優しく微笑んだ。
「もしそれが最終決定となれば、そうなるしかない。彼らの言う通りにするほかないんだ。評議会に異議を申し立てる権利が我々にはない」
その通りだ、しかし…アトラスは俯いた。評議会はドニそのものを律する存在であり、その言葉は法となる。五人の元老と、十八人のギルドマスターの決定が全て。彼個人の意見など関係ないのだ。
「だからこそ、監察官に好印象を与えることが重要なんだ、アトラス。彼らが首脳たちの名代なんだからな…彼らの報告内容はこの不安定な情勢に決定的な影響を与えることになるだろう。それが我々にとって望むものとなるかどうか。それが彼らの報告にかかっているんだ」
アトラスは今、正しく理解した。マスター・ケドリはやたらと自分たちの仕事に鼻を突っ込んでくる、ただのでしゃばりではない。この遠征行にとって、敵にも味方にもなりうる存在なのだと。もし彼が良くない報告をしたら、岩の奥でひたすらに大変な苦労を重ねてきたこの日々が、まったく無益だったと判断されかねないのだ。
「わかりました…しかし、私にできるかどうか…」
テラニスは頷いた。
「気持ちはわかる。無理にとは言わない…別な者に任せることもできるが、どうする?」
アトラスはテラニスを見つめ、そして気づいた。
単純な話だ。この遠征行と同じなんだ。
いつでも家に帰ることはできた。だが帰らないことを選んだ。
そのことが、この旅に意味をもたらした。それと同じことなんだ。
放り出すのは簡単だ…それでも。
アトラスは深く頭を下げた。
「やり遂げてみせます、ギルドマスター」
テラニスは満面の笑顔になった。
「いいぞ、アトラス。よし、食事をとってこい。長い一日になるぞ」

それから四日の厳しくつらい日々が続いた。アトラスが、テラニスにやっぱりこの任務をやめさせてほしいと頼もうかと思いはじめた頃、ついに次の区画への掘削が始められるというニュースが飛び込んで来た。
マスター・ケドリは食堂にいた。アトラスはやっと彼らにはっきりした決定を伝えられることで気がはやり、彼らのテーブルに割り込む形になった。
「どうした、ギルドマン?」
慌ただしくキャビンに駆け込む音に、テーブルを囲む四人の監察官は会話を中断して一斉にアトラスに目を向けた。
アトラスは彼らにお辞儀をして言った。
「申し訳ありません、皆さん。早くお伝えすべきだと思いまして…私たちは、次の掘削を始めることを決定いたしました」
すぐさま、様々な音が部屋中に巻き起こった。すぐに立ち上がり部屋を飛び出して行く者、残りの食事をかき込み始める者。その中でケドリだけは動じない様子で礼を述べた。
「ありがとう、アトラス。食事を終えたら君に合流する。現場で待っていてくれ給え」
十分後、エクスカベーターから姿を現したケドリは試掘準備を行っている場所までやってきた。他の監察官たちも既に集まり、作業の開始を待っている。
アトラスが口を開くより先に、ケドリが質問をした。
「教えてくれ、アトラス。私の理解が正しければ、マスター・ゲランの『音波測定』は、この先の岩がしっかりしているかどうかを調べる為の、大雑把だがかなり確実な方法なんだな?そして次の段階…もう今の段階か…は、いくつかの試掘穴を掘ることで正確な岩の種類を確かめる。正しいか?」
アトラスは頷き、初めて彼に向かって笑いかけた。
「ああ、これで最低限の情報は持ち帰れそうだ…ところで、もうひとつ教えてくれ。君たちが掘った岩はどこに行くんだ?私の読んだ書類には書いてなかったが」
「岩ですか?」アトラスは笑った。「ご存知かと思っていました。皆知っていることだろうと。岩は再構成されるのです」
「再構成?」
「ええ、圧縮融合機によって。この機械は大量の岩石を分子構造レベルでばらばらにして、その体積を二百分の一まで圧縮します。そうしてできるのが『ナラ』なのです」
「ああ、それがナラなのか!」
ケドリは強く頷いた。
「その圧縮融合機を見せてもらえないか?」
アトラスは微笑んだ。なんだかケドリのことが好きになってきた気がする。
「見るだけでいいのですか?もしよければ、動かすこともできますよ!」

アトラスは紙を一枚取って、ケドリのためにトンネルの断面図を描き出した。
「この部分が」
中央の塗られた円を指し示す。
「エクスカベーターによって削り出される穴を表しています。見ての通り、比較的小さい穴ですね。トンネル全周の三分の一といったところです。そしてここ」
今度はトンネルの外周にそって引かれた二本の平行な円を指し示す。
「ここがサイクラーが削りだす部分です」
「サイクラー?」
「私たちはそう呼んでいるのです。中央の試掘孔の周りを大きな円を描くように削る機械です」
「ああ、あの大きい蜘蛛のような機械のことか?」
アトラスは頷いた。つい二日前、監察官たちは様々な掘削機械のすべてを視察している。
「何をするかというと、サイクラーはトンネルの外周に沿って、一・二五スパン(約五メートル)の深さで円形の溝を掘るのです。その空間を特別なドニの石によって充填します。それが終わると充填材と中央試掘孔との間にある岩、『襟石カラー』を削り出します」
「一・二五スパンである理由は?」
アトラスは説明のため、紙に別な絵を描いてケドリに手渡した。
「この図のように、厚さ〇・二五スパンの『支柱ブレース』を掘削箇所に差し込み、充填材を注入します…この支柱は、円柱もしくは円環とでもいうべき形状の特別な金属製の固定器具です…そして襟石を削り出した時点でその支柱を取り除き、サイクラーを設置して作動準備を整えるのです」
ケドリは顔をしかめた。
「何度も言うようですまないが…やはり手間を掛け過ぎているように思えてしまう」
「そうかもしれません、しかし安全です。トンネルを作る時、それが何よりも大切なことです。実際に掘るのは一番最後の段階なんです」
「そうだが…」ケドリは考えこむように頷いた。
「しかし、単にいくらかの地上人と言葉を交わすだけのことに、大変な労力だとは思わないか?」
ケドリの性格からして、はじめての率直な問いかけだった。アトラスはちょっと口ごもった。単に無視してしまうか、聞こえの良い言い回しで切り抜けるか?だがケドリは真剣に答えを求めているようだった。
「どうなんだ?君にはなにも意見はないのか?」
テラニスが助け舟を出した。
「お許しください、マスター・ケドリ。アトラスはもちろん自分の意見を持っているでしょう、しかし彼はまだ二十五です。若く経験不足で、おそらく意見を述べることを許されるのも初めてのはず。率直に意見を表することにまだ慣れていないのです。年長者の意見でもよろしければ、私が…」
「君の意見なら知っているさ、マスター・テラニス。私はただ、若者の視点から新しい、違ったものが見つかるんじゃないかと思ったんだ」
「しかし、彼がすばらしい才能を持っているとはいえ…こんな若いギルドマンの発言に、評議会の首脳陣が少しでも興味を示すと本気でお思いですか?トゥラ卿などは彼の十一倍近い年齢なのですよ」
しぶしぶだが、ケドリはその点を認めざるを得ないようだった。テラニスはすぐに話の向きを変えた。
「それよりもっと大事な話をしましょう…いつもはこの段階で何度かの試掘を行うのですが、マスター・ケドリも我々の作業を早くごらんになりたいようですので、今回はその過程を飛ばしていきなり掘ってみることにします」
このニュースにはケドリも興奮したようだ。
「素晴らしい!」
そしてそわそわした様子で尋ねた。
「となると、何か防護服でも着なければならんかな?」
「その必要はありません。二台目のエクスカベーターへと退避していただくことにはなりますが。我々は掘るときは掘る、ということをお見せしますよ」

後方の要室隔壁が閉ざされた。この扉は気密隔壁であり、小さな岩の欠片すら後方のトンネルに漏らすことはない。臨時キャンプの撤収作業が行われ、音響カプセルを格納した二台目のエクスカベーターは要室の左壁側に寄せられた。二つの大きな監視レンズが天井の左右にそれぞれ設置されていく。この高さまでは岩の破片も飛んでこない。
全ては整った。あとはテラニスの命令を待つだけだ。
アトラスは監察官たちとともに、待機中のエクスカベーターの製図室で巨大なスクリーンを眺めていた。開始の合図を待つエクスカベーターが大きく映し出されている。しなやかでゆっくりとしたその動きはまるで巨大な蛇のようだ。
アトラスは静かな喜びとともにそれを見つめていた。初めてエクスカベーターの動くところを見たのは四つのころだ。やはり測量ギルド員だった父が、新しく見つかった大空洞へのトンネルを作っている現場へと連れて行ってくれたのだ。
ケドリは特に感銘を受けている様子だ。体を乗り出し、食い入るようにスクリーンを見つめている。
「総員配置に付け!」
テラニスが叫ぶ声が、スピーカーを通じて製図室にも響き渡る。直後、大きなサイレンの音が鳴り渡り、尾を引くように消えていった。
エクスカベーターの先端が岩肌につけられた掘削点を示すマークへと近づき、キスするように静かに接する。皆が見守る中、不意に巨大なドリルに刻まれている深い溝から冷却水が吹き出し始める。
そしてドリルがゆっくりと回転を始め、岩の中へ沈み込み始めた。はじめは小さな音だった機械音は、回転数が増し、深く突き刺さってゆくほどにどんどん大きく、高くなっていき、今ではキーンという音に変わっていた。大量の粉塵が雲のように沸き起こり、エクスカベーターの周りで渦を巻き始めた。
もはや掘削音が耳を聾するほどになる中、振動でこちらのエクスカベーターも鐘を打ち鳴らすような音を立てる。巨大な要室がゆっくりと粉塵で満たされていき、モニターの一部を覆い隠し始めた。時おり煙の奥に垣間見えるエクスカベーターは、その度に岩の中へと深く深く埋まっていく。その様子はまるでやわらかい獲物に食らいつく、凶暴で獰猛な生き物のようだった。
時折、大きな岩の破片が飛んできては外装甲にあたって音を立てるが、エクスカベーターは大規模な落盤の衝撃にも耐えられる設計だ。そのような状況下でも壊れることはない…岩に閉じ込められはするだろうが。
「恐ろしい光景だな!」
ケドリが騒音に負けないよう声を張り上げて言った。
アトラスは頷いた。自分もそうだった。初めて見た時は胃に沈み込むような恐怖を感じたものだ。だが父の、これが父さんのギルドの人々がやっていることなんだよ、という言葉を聞き、驚きと誇らしさを感じたのだ。
あの日に、父と同じ測量ギルドへの道を進むことを決心したのかもしれない。
「尻尾を見てください!」アトラスはスクリーンを指さして叫んだ。
わずかに、エクスカベーターの姿が現れた。ほとんど完全に岩の中へ入り込んでいるその尾部が生き物のように左右に振り回され、起伏なく掘られたトンネルの壁面に歯型のような深い傷を刻んでいる。
「なぜあんなことを!?」
ケドリが叫び返す。
「作業員の足がかりを作るためです!襟石を削りだす時、あれらの刻みに手や足をかけることで、作業がやりやすくなるのです!」
「なるほど!君たちはなんでも考えているんだな!!」
その通り…アトラスは思った。
私たちは千の世代をかけて、何でも考えてきたのです。

突然音が止み、エクスカベーターが穴から後退してきた。その表面は塵で覆われ、ドリルは冷却水が流れているにもかかわらず、熱で赤くなっている。要室いっぱいに漂っていた粉塵も、ゆっくりと沈着しはじめたようだ。
「もう外へでて自分で見ることはできるかね?」
監察官の一人、記述ギルドのマスター・ジャイアが尋ねた。
「もう少しお待ちください」アトラスが答える。
「いまはまだ暑すぎます。それに粉塵で息が詰まってしまいます。作業員も呼吸可能なスーツを着なければ作業できないのです。まず彼らが水で粉塵を洗い流します。そしてドリルの熱がもう少し下がったら、要室に空気を再注入します。そうして初めて、清掃過程クリーンアップに入れるのです」
「そして次の掘削過程に入るんだな?」
ケドリが振り向いて尋ねた。
「もう始まりますよ、見てください」
エクスカベーターの側面扉が開き、スーツを着込んだ二人の若いギルドマンが現れた。頭を完全に覆ったヘルメットには、酸素ボンベが装着されている。二人は湾曲した鋭い槍のようなものを運んでおり、その先端にはダイヤモンドの刃がついている。
「すぐにサイクラーが装着され、次の掘削過程が始まりますよ。その間、他のメンバーはクリーンアップを始めるのです」
スーツ姿の二人のギルドマンが巨大な輪をサイクラーに取り付け始めるその少し後ろには、たわんだホースの終端が伸びている。デッキの中央から一人が振り返りハンドサインを送ると、すぐにホースから勢い良く水が吹き出し始めた。水流は孤を描きながら要室の天井にまで達し、さらに二人がホースのノズルを調整すると、噴水のような水流は霧状に切り替り要室を満たし始めた。数分後に水流が停止したころには、あたりの粉塵はきれいに洗い流されて黒い泥のように床を覆っていた。
アトラスは微笑んで言った。
「私たちがいつも何をやってるのか不思議に思われていた方もいらっしゃるかもしれませんが、大体こんなふうです。掃除ばかりですよ」
その言葉に監察官たちは笑った。
ケドリも笑いながら、「この仕事が面白くないと言ってるふうに聞こえるな」
「いや、そんなことはないですよ。その間にいろいろ考えることができますから」
そう言うアトラスをケドリはしばらく思いにふけるようにじっと見つめた後、振り返って歩いて行った。一体どんな思いが彼の中を駆け巡っているのだろう…アトラスにはそれを推し量ることはできなかった。

テラニスに言われて慣れない防護服を身にまとった四名の監察官が、多少ぎこちない様子でエクスカベーターから外へ出てきた。いつものように先頭に立つケドリの横にアトラスがつく形で、一行はトンネルの中へと進んでいく。
サイクラーは既に何度か作業を行った後であり、すでにこの区画からは若手メンバー達の手によって二〇スパンの長さにわたって削り取られ、ドニ石によるコーティングもなされている。遠くトンネルの奥に見える中央試掘孔の黒い円の周りには、奇妙な骨格の虫のような形をしたサイクラーが、半透明の覆いに包まれて鎮座する姿が見える。
天井から吊るされたファイヤーマーブルの青白い光の下では、測量士見習いたちが岩をトレーラーに積み込む作業を行っていた。
「そうそう、これだよ」
ケドリが満足そうに頷く。
「こういうのを想像していたんだ」
照明の先へゆっくりと進む。この辺りの区画はすっかり仕上がっており、いつまでも耐えられそうなほどしっかりしている。若いギルドマンの横を通り過ぎ、一行は岩肌に面して設置されたサイクラーへと近づいた。その脚部はアンカーで固定されている。
見上げると流線型のサイクラーエンジンの向こうに、正面の岩壁に向かって停止している巨大な回転輪が見える。それを包み込む半透明の覆いは、削った岩を受け止めて集め、中央採掘坑へと誘導する役目を持っている。集められた岩は見習いたちが大きな吸引ホースで拾い集め、破砕機へと送られるのだ。
「約束を覚えているか、アトラス」
ケドリが言った。
「忘れていませんよ」
「よし、じゃあ早速やってみようじゃないか」
アトラスは振り返り、そばで作業していた友人のエファニスに合図を送った。
エファニスは作業の手を止めると、笑顔で応えた。
「ああ、もうやるのかい。…ちょっと待っててくれよ」
エファニスはすぐにサイクラーへ歩いて行き、制御盤を操作した。大音量の長いサイレンが二回、あたりに響き渡る。
ケドリが顔をしかめてみせる。
「君たちはドニでも一番やかましいギルドだな、アトラス。何をやるにしても必ず大きな音をたてる」
アトラスは笑った。その通りだ。もし誰かがこの上にいたとしても必ずこの音を耳にして、我々が地面を突き破るころにはとっくにいなくなっているだろう。
「マスクがしっかり締まっているかご確認を」
アトラスは監察官たちに呼びかけた。
「安全なことは確かですが、万が一あのカバーが破れてしまったとしても、ヘッドギアをしていれば大丈夫です」
その言葉に、ケドリも多少ひるんだようだった。
「し、しっかり、十分に注意してやってくれよ」
サイクラーの巨大な回転輪がゆっくり回転を始めた。しだいに速度を上げていき、その先端が岩に接した瞬間、それまで高い笛のようだった回転音はいきなり千匹のハチを解き放ったような騒音となった。厚い半透明のカバーに雨のように降りそそぐ岩の礫をものともせず、サイクラーはアームをゆっくりと油圧によって持ち上げ、水平に突き出していく。回転輪が岩に深く沈み込むに従って、岩には巨大な掘削溝の円が描かれていった。
三分もかからずに掘削は終了した。サイクラーがゆっくりと後退して岩から抜き出されると、はげしい熱による蒸気が立ち上っていく。
四人の若い測量士たちがトンネルの入り口の方から大きな金属の支柱のパーツを運び込んで来て、所定の位置に配置した。
一見簡単そうに見えるが、すべての作業はどれも危険で難しいものなのだ。
ギルドマン達がその後を引き継いでサイクラーの覆いの取りはずしや支柱の取り付けを行っている間、邪魔にならない位置へ下がっていたケドリ達は、それらが終わるとともにアトラスに中央試掘坑へと誘導されていった。その暗い穴の中には大量の岩が積み重なり、入り口からの光で照らされているのが見える。
アトラスは壁側に置かれている二台の機械を指さした。おぼろげに見える大きめの機械は、巻き付いている吸引ホースで岩のかけらを吸い込み、中央のタンクに収集するためのものだ。二つ目の機械は小さくずんぐりとした形状で、上部に深いV字形のトレーが載っている。
岩石収集機のほうは無視して、アトラスは大きめの岩のかけらを拾い上げてケドリに手渡した。
「さて、マスター。圧縮融合機を使ってみましょうか」
ケドリはニヤリと笑うと、小さな機械のトレーの上に岩を置いた。
「それから?」
アトラスは圧縮融合機のボタンを押した。トレーの上に金属の蓋がスライドして閉まる。低いゴロゴロとした音が鳴り、再び蓋が開いた時にはトレーは空っぽになっていた。
「ナラはどこに?」
アトラスはしゃがみこんで、機械下部の鉄カゴに収まっている赤いシリンダーを指し示した。
「ナラはこの中です。使用するときまでこの中で高密度に圧縮されて保存されます」
「しかしそれでは固まってしまうんじゃないのか?」
アトラスは頷いた。
「ええ。このシリンダーはあくまで一時保管用で、ナラを保管しやすい形にするためのケースにすぎません。ナラが十分たまったら別の機械にシリンダーごと放り込みます。その機械は超高圧を発生させることができるオーブンです。シリンダーは燃えてなくなり、ナラは扱いやすい流動的な状態になって、自由に形を整えられるのです」
「その機械とは、スプレイヤーのことか?」
「ええ、その通りです」
ケドリはしゃがみこんで、こんな単純な機械がその内にとてつもない力を備えている、そのことに対する畏敬のまなざしで赤いシリンダーを眺めていたが、ふいに立ち上がると子どものように次々と岩を集めては融合機へと放り込み始めた。

その夜再び、テラニスは自室へアトラスを呼び出した。
「今日、彼らには楽しんでもらえたそうじゃないか。危険の低い機械を触らせるというのはいいアイデアだったな。彼らのようなインテリはちょっとした機械でも感動するようだ。我々にとっては大した事ではないが、彼らに好印象を与えられるものが他にもあるかもしれんな」
「そうですね」
アトラスは頷いた。そして、ずっと気になっていた質問をぶつけてみた。
「マスターは…この遠征の目的についてどうお考えですか?良いことだとお思いですか」
テラニスは微笑んだ。
「地上人と接触することか?…そうだな、慎重にやっていく限りは良いことだと思う」
「慎重に、ですか」
「そうだ。例えば、彼らと血が交じったりすることはないほうがいいと考えている。それに、交流が深くなりすぎるのも問題だと思う。彼らは結局のところ未開だろうし、それら未成熟な社会の人間というものは…我々とて昔はそうだったが、争いを好みがちだ。彼らがドニへ流れこんでくるようなことは望ましくないからな」
「では、どのような関係を持つのがよいのでしょうか?」
テラニスは肩をすくめた。
「彼らの中に監視を送るくらいかな。私たちが彼らと、種としてそんなにかけ離れてはいなければだが」
「しかし、彼らから何か学ぶべきものがあるでしょうか?」
「ふむ。彼らはなにかしら特徴的な文化を持っているかもしれない。工芸や芸術といったものであれば我々にも役に立つ可能性がある。もしかしたら道具や機械すら作り出しているかもな。ま、個人的にはあり得ないと思うが」
「そうであれば、結局マスター・ケドリが正しいということになりませんか。そして私たちのやってきたことは全て徒労、ということに」
テラニスはその言葉を聞きとがめた。
「それは彼らが言っていたのか?」
「それに近いことを、監察官同士の会話の中で。確かジャイアだったと思います…彼らがここへやって来た日でした。ジャイアはそもそも地表に誰かいるかどうかも疑わしい、と大声で話していました」
「それで?」
「それで…そうです、マスター・ケドリは『いるだろう』と言っていました。『気候が原住人種の発展に適したものだから』と」
「何を根拠にそう言えるんだ?」
「彼らは全員、あの本の複製を見たことがあるようでした」
の書か」
テラニスは思慮深く頷いた。
「あれはグランドマスター・リネーレフの手によって書かれたものだ、アトラス。おそらく古代の記述者の中で最も偉大な方だが、まだ見習いの頃に書かれたものだと言われている」
「そういえばマスター・ケドリもそんなことを言っていたような気がします。しかし一番の問題となりそうなのは、マスター・ジャイアが次に言った言葉です」
「なんと言ったんだ」
「『人のようなモノが地表にいるにせよいないにせよ、こんな博打のような事業に時間と労力をかけるべきなのか?』」
「博打のような…そう言ったのか?」
アトラスは頷いた。
テラニスは再び椅子に座りしばらく考えこんでいたが、アトラスの方に向き直ると尋ねた。
「アトラス、お前はどう考えているんだ?この遠征には価値があると思っているか?」
「はい、ギルドマスター。ともに同じ世界に暮らす別の知的種族をよく知ることは、私たちがかけてきた苦労の何倍も価値のあることだと思いますよ!」

エクスカベーターが工程を行っている間、若手のギルドマンたちは彼らの船室に戻ることが許される。監察官たちはその間、二台目のエクスカベーターのギルドマスターの居室へと一時的に移動することになっている。
アトラスも船室の自分の寝台へと戻ってきた。ケドリの発言を思い出してふと微笑みが浮かんだが、すぐに消えていった。
いつもなら終わりがないような第二の清掃工程の間に自分の実験のことを考えることができるが、ここ数日はなにかしら細々した用事に追われて時間が取れなかったのだ。それにしても、ケドリ以外の誰がこんな勝手の違う環境に居続けて平気でいられるものだろう。
アトラスにとっては、個人的な空間と静けさが必要だった。…あと、十分な薬品とノートもだ。母はよく、岩と地殻の動きに取り付かれたアトラスをからかったものだ。「異常だわ!」
しかし老練の料理長、ジェラールの言っていたことは正しい。それはドニ人として最も自然なことなのだ。岩はもはやドニ人と切りはなすことができない構成要素だ。こうして自分の寝台に腰掛けていても、ドリルの音や岩が床に落ちて転がる音が聞こえてくる。他の人にとっての小鳥の囀りや川のせせらぎと同じように、アトラスにとってそれが最も自然な音だった。
父は父で、そんなアトラスを「ちいさな虫の坊や」と呼んだ。将来への期待が含まれていたのかもしれない。そして実際、アトラスはそうなった。穴掘り屋、または道の探索者、そして暗闇のなかを進む探検家に。
寝着に着替えようと立ち上がったとき、外でどよめきのような声が上がった。急いで廊下を抜け、エクスカベーターから頭を外に突き出して声の元を探す。トンネルの中からだ。だれかが苦痛に呻く声も聞こえてくる。
背後に足音が聞こえ、しばらくするとテラニスが現れた。一緒に扉から外を覗く。
「何があった、アトラス」
「誰かが怪我をしたようです」
二人は走りだした。トンネルの入り口にさしかかったところで、取り乱した顔の若いエンジニアに出くわした。テラニスはその肩を掴んで尋ねた。
「怪我人は誰だ、タネリン」
「エ…エファニスです。刃が折れて、ひどい怪我を。止血しようと…でも止まらなくて!」
「マスター・アヴォニスを呼べ!私はできることがないか見てくる」
タネリンを行かせると、テラニスとアトラスは再び走りだした。トンネルはあと五スパンの掘削を残すのみで概ね仕上がっており、遠いトンネルの最奥部に明かりに照らされた若手ギルド員たちが集まっているのが見える。その取り囲む中に、エファニスはいた。
苦痛に歪んだ声が上がる。
二人はその場にたどり着き、エファニスの状態がどれほど酷いかを目の当たりにした。重傷だ。折れた刃はエファニスの後ろから飛んできて、胸と上腕に直撃したにちがいない。この怪我では助かる見込は…再びうめき声が上がり、エファニスの口から血があふれた。
テラニスはギルドマンを押しのけて彼の側に屈み、エファニスの服を脱がせて傷口にあてがうと皆の目を覚まさせるように叫んだ。
「手伝ってくれ!急げ!」
周りの者がエファニスの肩や背中の下に手を差し込むのに合わせて、テラニスも彼の頭部を静かに抱え上げた。そして周りを元気づけるように言った。
「よし、エクスカベーターまで運ぶぞ。すぐにマスター・アヴォニスに診てもらわなければ」

これまでも事故は起きなかったわけではない。しかしそれらはせいぜい打撲や岩の破片でのケガ、ひどいものでも骨折程度で、一人の死者も出ていなかった。テラニスもそのことは密かに誇りに思っていた。そのため、今回のエファニスの事故は遠征隊に大きな衝撃をもたらした。
翌朝アトラスがケドリのもとへ報告に向かうと、ケドリは製図室の机にかじりついてなにかの書類を書いているところだった。ケドリは顔を上げてアトラスの姿を認めると、ペンを脇に置いた。
「気の毒だったな、アトラス。エファニスは君の友人だというのに…。ひどいものだ、なあ?」
アトラスは頷いたものの、言葉を発することができなかった。エファニスはまだ生死の境をさまよっているのだ。
「今日は大丈夫だから、休むといい。実験の続きをしてもいいだろう。明日からまたよろしく頼むよ」
「はい、マスター」
製図室を辞すと、アトラスはまっすぐテラニスのもとへ向かった。テラニスはトンネルの中で見つかった。中断している掘削箇所の、黒くまだらになった部分を見つめて屈みこんでいる。
「それは…?」
テラニスは顔を上げた。
「火砕性の堆積物のようだ。数億年前からこの地層に潜んでいた『火山性爆弾』といったところか」
暗くなった箇所の周辺部を指さす。
「外側はただの黒曜石だ。だがここの透明な塊は火山がこれを吐き出す前からこの中にあったらしい…ダイヤモンドのようだ」
アトラスは頷いた。
「おそらく、掘削刃がまず黒曜石の表面で滑り、その後この硬い部分に引っかかって最終的に折れてしまったのだろう」
テラニスは重い溜息を吐いた。
「やはりサンプリングをすべきだった…彼らを意識するあまり急ぎすぎた結果が、これだ」
「自分をお責めにならないでください、こんなもの気づけませんよ。全てを予測するなんてことは不可能です」
「不可能?」
テラニスは立ち上がり、放置された道具を見渡した。その顔はアトラスが初めて見る、テラニスの取り乱した顔だった。
「私でなければ誰がやるというんだ、アトラス。皆の安全を確保すること、それが私の仕事だ。他の誰でもない、私の責任なんだ。エファニスは私のミスで負傷した。私がきちんと手順を踏んでいれば…」
アトラスはテラニスへと手を差し出しかけ、力なく落とした。テラニスの言葉は正論だ。あらゆる煩雑なチェックや手続はこのような事態を回避するために用意されているのだ。
アトラスは咳払いをした。
「マスター・ケドリから今日の補佐は不要との言葉を頂きました。何か別な仕事に回してください」
テラニスはアトラスを一瞥し、曖昧な手振りをした。
「後にしてくれ、アトラス。今日の作業はなしだ」
「ですが…」
「頼む」

アトラスはナップサックに荷物をまとめると、要室隔壁を抜けてこれまで掘り進んできた方角のトンネルへと歩き出した。二カ月ほど前、掘削の過程で通り抜けてきた小規模な空洞が気になっていたのだ。岩を掘り進めている間はとても長く困難だった道のりも、今は一時間かそこらで目的地へとたどり着ける。はじめのうちはそれなりに真っ直ぐだった道が次第にジグザグに進行方向を変え、やがてまた通常のドニの道に戻る。そのうち、左方向への分岐が現れた。ここは活断層を避けるために迂回を強いられた箇所だ。
道はぼんやりと薄明るい。トンネルをコーティングしている暗緑色のドニ石に含まれる化学物質がほのかに発光しているのだ。そのおかげで道は十分見える。そしてこの道を外れてからも大丈夫なように、アトラスのナップサックにはランプが二つと、光ゴケを納めた小さなビンも入っている。
目的地に到着すると、アトラスは洞窟網に続く円形の扉のそばにある岩に腰掛け、しばしの休憩と簡単な食事をとった。
この要室の球状空間にはさまざまな穴が開いている。かろうじて拳が入るくらいの小さな隙間から、歩いて入れるくらいのものまで大きさはさまざまだ。中でもアトラスが座っているそばにある穴は、エクスカベーターが通れるほどの大きさがあった。実際、テラニスの許可を得て、入り口を支柱で支えて五〇スパンほど掘ってみたのだ。少し先に存在する大きな洞窟へと通じる道を広げるためだったが、掘削スケジュールの圧縮によって一日か二日しか調査をする時間がとれず、結局この穴は塞がれ、小さな隔壁が取り付けられた。そしていつの日か調査されることを見込んで、要室の残りの部分はナラで滑らかにコーティングされたのだった。
その時、この洞窟網のことを出来る限りノートに残していたアトラスは、今ようやく調査の続きを行えることに胸が高鳴った。食事を終えると立ち上がってヘルメットを被る。ナップサックを背負い直し、扉の開閉装置の前に立つ。
単純な圧力式の開閉機構だ。ホイール状のハンドルを回すと頭上でプシュッという排気音が鳴り、しばらくすると扉が中央から割れるように開き、左右の襟石の中へとスライドして飲み込まれていった。
中は真っ暗だ。
ポケットの中から小さな布袋を取り出し、その中からファイヤーマーブルをひとつ取り出す。ヘルメットに据え付けられているランプの中に入れ、しばらく待つとファイヤーマーブルは強く明るい輝きを放つようになった。真っ暗闇だった洞窟のなめらかな、コーティングされていない岩壁が照らし出される。アトラスは微笑み、その中へと足を踏み入れた。

やってきた方角を示す小さな矢印を岩壁に吹き付けたアトラスは、スプレー缶をナップサックに放り込んでゆっくりと歩き出した。常に左右の岩壁や天井に注意を払いながら歩数をカウントする。しばらく進むと再び立ち止まってポケットからノートを取り出し、ここまでの歩数をすばやく書き付け、もう一度コンパスを確認した。
この下り坂には狭い隙間のような分かれ道があることがわかっていた。ただ遠征隊が以前ここを調査した時にはその先の確認はなされなかった。アトラスは今、その場所へと再びやってきた。
抜け道は天井に近づくほど先細りになっており、そのまま岩の裂け目へと続いている。だが、歩いて通るには十分な幅だ。ただ、進むにつれてどんどん幅も狭くなってきた。しかしその先には広い空間があるようだ。おそらく小さめの空洞だろう…そう期待しながら、アトラスは岩に体をねじ込むようにして進んだ。あたりは完全に無音の世界で、水流もなく、水滴の音もない。ここではアトラスは騒がしい闖入者だった。自分の呼吸がやたら大きく聞こえる。だが岩の中は暖かく、恐怖はない。小さいころ父に伴われて深い岩の奥へ行った時から、アトラスは一度も恐怖を感じたことはなかった。今ほのかに感じているのは、なんだかわくわくするような予感だけだ。
岩には隠された美しさがある、とアトラスは思う。その奥の奥、深い場所にはこのような繊細で美しい洞窟が誰にも知られず存在しており、そこへ足を踏み入れることは何にも代えがたい喜びだ。
ナップサックを肩からおろして地面に置き、狭い通路に体をねじ込んでいく。だが次の瞬間、アトラスは息をのんだ。
「うわっ!」
ひっそりと足元に口を開けていた裂け目が、彼を飲み込むところだった。急いで側の岩に手を引っ掛けて体を支える。足元の岩が狭い裂け目へと崩れ落ちていく。
「これ以上は無理か…?」
周りを見渡すと、壁の左側はそのまま固い岩に突き当たって行き止まりとなっていた。右側を確認し、アトラスは笑みを浮かべた。隙間の向こうに見えるのは、間違いなく広い空間だ。その洞窟の天井は低いもののいくつかの方向へ伸びており、その奥の方は柱のような巨大な岩によって遮られている。
頭上の水晶がウインクするようにきらめいた。
アトラスは引き返すと岩の隙間に向こうにおいてきたナップサックを回収した。腕のタイマーはすでにベースキャンプを離れてから三時間経過したことを示しているが、まだまだ時間はある。ナップサックの紐をしっかり握り締め、再び裂け目の場所まで戻る。とても深そうな穴だが飛び越えられない程ではない。問題は、その先の床面が今立っている場所よりかなり低い位置にあることだ。帰ってくる時、この岩棚を乗り越えるのは簡単ではないだろう。アトラスはそばの岩にくさびを打ち込むと、ナップサックから長いロープを取り出すとその一端をくさびにすばやく結びつけた。ロープを崖下に伸ばし、二から三スパンほどそれを伝って降りると、あとは飛び降りた。
下に降りたアトラスはロープの終端を押さえておくための手頃な岩を探したが、見当たらない。この辺りの岩は奇妙に溶けたように滑らかで、仕方なくアトラスは余ったロープを巻き集めて、そのまま置いておくことにした。裂け目に落ちてしまわないよう願うしかない。
洞窟を前にしたアトラスは、しばらく全く動けなかった。最奥部の石柱がヘッドライトに照らされて浮かびあがる。アトラスは屈みこむとポケットからノートを取り出し、それらを詳細にスケッチし始めた。スケッチが終わり、いよいよ洞窟に足を踏み込んでいく。床面は先ほどと同様に不思議となめらかで、これは火山活動によって生まれた空間なのもしれないな、とアトラスは考えた。そこで不意に立ち止まると、しゃがみこんだ。
「この岩の中にあるのは…瑪瑙だ!」
アトラスの声が洞窟にこだまする。アトラスはベルトからのみとハンマーを引き抜くと岩の表面を削り、その瑪瑙を優しく岩から取り出した。瑪瑙は鳩の卵より小さい程度の大きさで、ひとしきり調べると背中のナップサックにしまいこんだ。付近ではターコイズやアメジストも見つかり、アトラスはその度にハンマーを振るった。
これら瑪瑙は火成岩の沈殿物であることが多い。マグマの泡のひとつでしかなかったころから長い長い時間を経て現在の形となったのだ。磨けばさぞ美しいだろう。
アトラスは正面に見える大きな岩の柱へ向かって歩き始めた。しかし二歩ほど歩いたところで異変が起こった。足元から振動が起こり始めたのだ。
「…掘削作業が再開したのか?」
それは遠くで掘削を始めたかのような振動だったため、アトラスはそう考えたが、次の瞬間テラニスの言葉を思い出した。
今日の作業はなしだ。
それを裏付けるように、地鳴りとともに揺れはどんどん強くなる。そして、後ろの狭い通路からは岩が崩れる音がした。まずい、もしあの通路が塞がってしまったらこの洞窟に閉じ込められてしまうことになる。アトラスがここにいることに誰かが気づくまでは数日を要するだろう。ここへ来ることは誰にも伝えていないのだ。
かろうじて、ロープはそのままの場所にあった。それを伝って段差の上へ体を引っ張り上げたところで、再び小さな揺れが起こった。頭上の岩の裂け目から砂がこぼれ落ちてくる。もし本格的な揺れが来たら…すべてが崩れ落ちてくるだろう。
自分を落ち着かせながら、アトラスは元来た通路へと岩の隙間に体をねじ込んだ。半分ほど進んだところで、恐れていたものがやってきた。先ほどと比べ物にならないほどの激しい揺れだ。頭上で岩が砕ける音がして、大量の砂が降り注ぐ。それはアトラスの口の中にまで入ってきた。だが幸い、通路は完全に塞がらずに済んだようだ。
アトラスは歩数を数えながら歩き続けた。
岩壁に残しておいた帰路を示す矢印をたどり、要室近くの小さめの空洞に辿り着いたところで、アトラスは行く手が完全に塞がっていることを知った。
空洞の先は崩落した岩で完全に埋まっていたのだ。
しかし、アトラスは別の道があることを思い出した。狭い試掘孔を抜けていく道だ。アトラスは試掘孔を見つけた場所まで引き返し、その狭い穴を腹ばいになって進み始めた。途中から試掘孔の片側は切り落としの断崖となり、身をくねらせて進むアトラスの足はしばしば空中に投げ出される。そして体の向きを変えた拍子に、アトラスはあわや滑落しそうになった。必死に岩にしがみつく。断崖の高さはおよそ三スパン(十二メートル)はあるだろうか。アトラスは周りを見回し、他にルートがないかどうか探したが、これ以上進めそうなルートは見当たらない。もはや、金属の楔を打ち込んでこの断崖を降りていくほかなさそうだ。
長い時間の後、アトラスはようやく断崖の底へ降り立った。しかし、今度は同じぶんだけ登る必要がある。トンネルの続きが再び始まっている箇所は見えているが、登るのは容易ではないだろう。なにしろ、上に辿り着くまでの道のりの残り二スパンは、角度がほぼ垂直になっている。とはいえ、他にどうすることもできない。アトラスは再びハンマーで岩壁に楔を打ち込んだ。
登りはなかなか進まなかった。その間にも二度ほど強い揺れが襲いかかり、アトラスは岩壁からほとんど振り落とされそうになり、揺れが収まるまで必死で岩にしがみついた。そしてようやく、トンネルの続きが始まっている場所まで登りきることができた。
計測が正しければ、最初の入口まではあと五〇スパンほどの距離のはずだ。
アトラスなかば走るようにして、トンネルを進んだ。掘削作業時には「物置」「階段」などと呼んでいたいくつかの小さな空洞を通り抜け、ついにドニのトンネルの始まりを示す石版が視界に入った。洞窟の入り口まで辿り着いたのだ。
トンネル壁を一瞥すると、やはり深刻なダメージを受けているようだ。完全に左右対称のなめらかな引き面に、大きくひびが走っている。そして天井から崩れ落ちた巨大な岩が横たわっていた。ショックを押し殺しながら、アトラスはゆっくりと進んだ。ゲートは閉じている。センサーが初期微動を感知すると、ただちに閉じる仕組みになっているのだ。すべての通路、すべての要室の入り口の扉がそれに連動する。これが開かないと、瑪瑙を見つけた洞窟にいたときと状況はかわらない。閉じ込められたまま助けは来ないだろう。
ただ、扉にはめったに使われることはないが緊急時に圧力を開放するためのハンドルが付いている。
巨大な金属製扉を前に、アトラスは緊張しながらハンドルを回した。どうか今振動がきませんように…
しばらく回すうちは何も起こらなかったが、不意にためていた息を吐くように空気が抜ける音がして、扉が半分ほど開いた。アトラスはすぐに扉に飛び込んだ。どんなわずかな振動でも、訪れた途端に扉は閉じてしまうだろう。
これまでと違って要室の中は明るく、アトラスは目をしばたきながら隔壁の向こうを振り向いた。まさにその時、通り抜けてきたトンネルの天井が一気に崩れ落ちた。粉塵が巻き上がったが、振動を感知した扉が再び完全に閉じきり、轟音も粉塵も何もなかったかのように再び辺りは静まり返った。
アトラスは冷や汗を拭いながら辺りを見回した。要室の壁は健在だ。巨大地震でも耐えられる造りになっているのだ。しかし両側の隔壁は閉ざされている。
揺れが落ち着くまで待つ必要がありそうだ。
アトラスはポケットからノートを取り出すと、これまでの出来事をすべて書き記し始めた。
小さな地震はこれまで数ヶ月、日常的に起こっていたことだ…しかし今回は明らかに様子が違う。ここまでの強さの地震には、これまでアトラスが出会ったことのないほどのものだった。
瑪瑙のことを思い出し、ナップサックから取り出す。しばらくそれをうっとりと眺めていたが、突然冷水を浴びたように、この瑪瑙こそが地震の理由、その手がかりになるのではないかと気がついた。この一帯は火山帯であり、その歴史は火山そのものの歴史だ。この瑪瑙こそが、気が遠くなるほどの火山活動が生み出したものであることを示している。
そしてその活動は現在も続いている。遠征隊は、そんな巨大な火山性断層のどまんなかを掘削してきたのだ。
瑪瑙をしまい込むと再びノートに観察記録を記し、閉じた。顔を上げる。少なくとも最後の揺れから一時間は経ったはずだ。
それは正しかった。要室の扉がガスの抜ける音とともに開き始める。アトラスは立ち上ってナップサックを担ぐと、ベースキャンプを目指して歩き始めた。

ベースキャンプのある要室の扉へと戻ってきたアトラスは、あたりの様子に眉をひそめた。
おかしい。静かすぎる。
二台のエクスカベーターは最後に見た時のままの位置にある。あの大きな揺れの後だから、きっとドタバタしていることだろうと思っていたが、そのような兆候はどこにもない。まるでこの現場は放棄されたかのようだ。
進むにつれ、心になにかがのしかかってきてアトラスは立ち止まった。トンネルの方から、かすかになにかを読み上げるような声が聞こえてくる。
トンネルの入り口までやってきたアトラスが目にしたのは、あらゆる掘削隊メンバー・監察官たちが整列している光景だった。一団はトンネルの最奥部、事故が起こった場所に向かって並び、皆が頭を下げていた。
アトラスは理解した。これは…エファニスの送魂式だ。マスター・テラニスがよく通る声で厳かに告げた。
「彼は岩の中に生き、岩の中に眠る」
その声が響き終わると、テラニスは横たえられたエファニスの手をとり、開かれた接続書の上に乗せた。その体はかすかにきらめき、陽炎のように消え去っていった。
…墓所の時代、テ・ネガミリスへと。
アトラスもトンネルの入口で深く頭を下げ、旅立つ仲間への弔いの言葉を聞いた。
「その魂が造物主ヤーヴォの懐に抱かれんことを」
静寂が訪れ、誰もがエファニスの死を悼んだ。そして各々が顔を上げ始め、テラニスも顔をあげ、遠くに立つアトラスの姿を認めると歩み寄ってきた。
「すまない、アトラス。急なことだったんだ。治療に対するショック反応が出て…彼はとても弱っていたんだ」
アトラスは頷いた。だが実際はあまり実感がなかった。洞窟にいる間、エファニスのことは完全に頭から消えていたのだ。
「大丈夫か?」
「ええ、大丈夫です…先日の洞窟網に行っていたんです。ひどいダメージを受けていました。地震が…」
テラニスは頷いて言った。
「マスター・ゲランの考えでは、この近辺の岩は安定しているとのことだ。とはいえ作業継続にはこれまで以上の音響テストをする必要がある。スケジュールには遅れが出るだろう」
「マスター・ケドリは喜ばないでしょうね」
「他の監察官たちもな。しかしもうそんなことは考慮すべきではない。二度と事故を起こしてはならないのだ」
テラニスは一旦言葉を切り、アトラスに尋ねた。
「マスター・ケドリに付いてもらうのが少し伸びることになってしまうが…かまわないか?」
テラニスはアトラスが報告もなしに個人的な調査にでかけたことについて何も言わなかった。それがテラニスという人なのだ。
アトラスは申し訳なく思う気持ちとともに答えた。
「大丈夫です、ギルドマスター」

輸送車に乗り込むマスター・ケドリは、アトラスの方を振り返って微笑んだ。
「ご苦労だったな、アトラス。君の助力は忘れないよ」
アトラスも微笑み返した。
「それとこの手紙も忘れずに届けることを約束するよ」
ケドリはそう付け加え、上着のポケットを叩いた。
「ありがとうございます、ギルドマスター」
ケドリは頭をかがめて輸送車へ乗り込んだ。しばらくしてドアが閉まり、タービンエンジンが稼働し始めた。アトラスは輸送車の側から離れ、監察官たちを見送りに来ている人々の場所まで下がった。
「本当にご苦労だった、アトラス」
テラニスが静かに言った。方向転換した輸送車はゆっくりとトンネルの中へと進入し、ドニへと戻っていった。
「もっと出来ることがあったかもしれません」
アトラスの答えにテラニスは頷く。テラニスもまた、監察官の報告は良くないものになるだろうと考えているようだ。僅かな表情の動きがそう語っていた。
突然、マスター・ケドリと監察官達は掘削の再開を待たずして帰還することを決定した。それは、彼らのこの遠征行に対する評価が固まったという無言のメッセージだった。
エファニスの死。地震。これらの要因は明らかに彼らに影響を与え、おそらくなにかしらの決定へと導いたのだ。
いずれにせよ、厳しい結果が待っていることは想像に難くない。
「これからどうしましょうか、ギルドマスター」
意気消沈した様子のテラニスを見つめ、アトラスは尋ねた。テラニスはアトラスを一瞥し、肩をすくめた。「岩を掘り続けるだけさ。やめろと言われるまでな」

その後の進行は非常に遅かった。マスター・ゲランはゆうに五日をかけて様々な音響テストを行い、周辺の完全な測量図を作り上げた。そして試掘孔を掘るべき地点のチェック。ここまでで既に十日が経過していた。そしてようやくテラニスによって、トンネルの仕上げと新しい要室の掘削の指示が下されたのだ。
評議会があとわずかに迫るなか、遠征メンバーは皆、最悪の結果がもたらされることを恐れていた。近いうちに全員に帰還命令が下され、トンネルは埋められ、これまでのすべてが無に帰する…そんな悪い想像だ。しかし、今はまだ事業は継続中だ。彼らの頑固なプライドによって、日々の作業はしだいに長く、多くなっていった。
熟練のチームが要室の掘削とコーティングを一日で終わらせ、その間に第二チームが空気孔を据え付けた。夜になる頃にはプラットフォームを解体し、ベースキャンプの移設まで終わらせてしまった。
エファニスの死は皆に衝撃を与えた。しかしそのことがどのような影響を彼らに与えるかは誰もわからなかった。今ならわかる。アトラスのチームが夕食の席についた時、食堂には奇妙な静けさがあった。誰もが言葉を発さずとも、皆が何を感じ、考えているかがわかっていた。
料理長ジェラールがようやく口を開いた。
「やめさせられそうになって初めて、この事業の大切さがわかるたぁ…皮肉なもんだよな」
そこここから強い同意の声が上がる。エファニスの死は、一種の冒険のように考えられきたこの事業に、聖戦とでもいうべき様相を帯びさせた。トンネルを完成させること、評議会に与えられた任務を全うすることが今の皆の願いだった。地表に誰かがいようがいまいが、もはやどうでもいい。
いつものアトラスはこういった場で発言はしないが、今日はジェラールの言葉に応えた。
「エファニスの死を全くの無駄にしてしまうわけにはいかない」
再び同意の声が周囲から上がったが、その声は部屋に入ってきたテラニスの声によって、ぴたりと止んだ。
「評議会がその声に応えてくれてよかったな、アトラス」
皆がその言葉の意味を理解するまで、部屋はしばらく静寂に包まれた、それから大きな歓声が轟き渡った。テラニスも笑顔でアトラスに向かって頷く。その手には開封された手紙が握られていた。
「特別便が先ほどここへ届いた。それによると、我々に一年間の期間延長が認められたそうだ!」
再び歓声が溢れる。それが静まるのを待ってテラニスは続けた。
「そして、さらにすごいことがある。我々は大立坑グレートシャフトの建設許可を得たということだ!」
「グレートシャフト…ですか?」
テラニスは感に堪えないような表情で頷いた。
「評議会も我々同様、地表に何があるかを見たくて仕方がないらしい。もう横に向かって穴を掘る必要はない。これから我々はまっすぐ地表へ!大きな縦穴を造り上げるんだ。明日の朝からは新たな音響テストを始めるぞ!」

星々がきらめく砂漠の夜。
中空に差し掛かった青白い月の下、ふたつの岩稜に挟まれたちいさなスペースで、二人の旅人がキャンプをしていた。
並んで座る彼らのすぐそばにはラクダが繋がれており、大きな革製の鞍が地面に降ろされ、そこから取り外した羊の革を肩に羽織っている。昼間の酷い暑さとうってかわってあたりは肌寒いくらいなのだ。
交易商人である彼らは、タジナーという町からジャマラニーという町の市場へと向かって南下しているところである。
静かだった。このような完璧な静寂は砂漠ならではだ。
しかし…その静寂の中に、かすかに音が鳴り始めた。
あまりにかすかな音なので、はじめ彼らは現実の音ではなく、耳鳴りかなにかかと考えた。しかし音はしだいに大きくなり、そのうち辺り一面に響き渡るほどになった。
地面がふるえ始める。
彼らは驚いて立ち上がり、顔を見合わせた。音はますます強まり、ある種の周波音の様子を帯びてきている。そして突然、音は澄んだひとつの高音となって鳴り響いた。まるで巨大なトランペットが地面の下で吹き鳴らされているように。
急いで岩の斜面をかけ登り、てっぺんから周囲を確認した彼らは、信じられない光景に目を見開いた。百フィートもいかないところの砂地が、巨大な円の形に、まるで巨大なふるいにかけられているように荒々しく振動していた。石礫まじりの砂がゆっくりと、まるで空中に描かれたように大きな輪のかたちを保ちつつ地面から浮かび上がる。そして奇妙な、信じられない程の強い音が大気を切り裂くように鳴り響き…
唐突に止んだ。
地面に落ちた砂によってできた、大きな円の跡を残して。
旅人たちはしばらく呆然と立ち尽くしたのち、地面にひれ伏して叫んだ。
「神よ!」
「神よ、我らを守り給え!」
二人の後ろから、怯えたラクダのいななきが聞こえてきた。

「完璧だ」
マスター・ゲランはその見えない目をほころばせながら、椅子の背もたれに体をあずけた。
「今回はほとんど爆風くらいに音を強くしたんだ。やったぞ!地上まで続くしっかりした岩盤だ!」
ゲランの音響分析結果を固唾を飲んで待っていたテラニスは、大きな安堵のため息をついた。
「ここだ、というんだな?マスター・ゲラン」
ゲランは頷いた。
「普通は試掘孔を開けるがな、言い切ろう。シャフトに最適な場所はここだ」
「素晴らしい!」
テラニスは微笑んだ。この三ヶ月の間、彼らは辛抱強く掘り進め、このような場所を探していたのだ。ついに見つけた。
ゲランは普段の注意深さに戻り、続けた。
「一応伝えておく。掘る予定のシャフトの片側の側面に、ひとつ大きい洞窟があるが、影響はないだろう。かなり離れているし、儂らが掘るシャフトはその隣で、下じゃないからな。」
「よし」
テラニスは頷いた。
「直ちに評議会に伝えよう。我々は基礎の掘削の準備が整い、その作業には少なくとも一月かかるだろう、と」
「ああ、少なくともな!」
古い友人たちは互いに笑いあった。
「ようやくだな」
テラニスはゲランの肩に手をかけ、呟いた。
「この日が来ることはないんじゃないかと思い始めていたよ」
「ああ」
ゲランは見えない目をまっすぐテラニスに向けて言った。
「儂もだよ」

準備は広範囲に及んだ。
まずはシャフトの最下部となる場所に、大規模な部屋を掘削するところからだ。
本来、二台のエクスカベーターには適していない作業だったが、外周に沿った形で二つの長い湾曲したトンネルを掘る形で作業を開始し、じきにドニからより大きな岩石カッター装置がやってきてその作業を引き継いだ。
それらが行われている間、マスター・ゲランは製図のギルドの上級メンバーのチームと協力してメインシャフトの設計を行った。これは簡単な仕事ではなかった。グレートシャフトは、そこから枝分かれするはるかに小さなトンネルのネットワークの拠点であるからだ。これらのほとんどはドニへとつながるトンネルだが、一部はもともと掘り進めてきたトンネルを北に伸ばしたものだった。
物事が進展するにつれて、マスター・テラニスはもはや遠征のリーダーではなく、測量ギルドのグランドマスター・イラドゥンのもとで働く六人のギルドマスターのうちの一人、という立場になっていた。今や他のギルドもぞくぞくとこの事業に関わってきており、その傍らでアトラスは一種お祭りのような騒ぎに興奮を覚えていた。突然この事業が、ドニのあらゆる活動の中心になったかのようだった。三週間が過ぎるころには、大広間の大部分は切り出さるか、または溶かされた。誰もが聞いたことはあるが実際に見たことはなかった機械…巨大な岩石溶融機が、ガスバーナーを氷の壁にあてるようにやすやすと岩石を溶かし出していった。
大広間には当然支柱が必要であり、二十本の巨大な花崗岩でできた柱が天井を支えていたが、壁は通常の手法であるスプレーコーティングでは十分ではなく、ドニでもっとも硬い、鉄鋼の三十倍の強度を誇る物質であるナラ製の巨大な石版が用いられた。
巨大な機械が予め成形された部材を持ち上げている間、別な機械が固定用のリベットを打ち付ける。リベットのひとつひとつは人よりも大きく、それが八千本以上使われる計算であったが、なんとかすべてのリベットが打ち付けられた。
その夜、簡易照明に照らされた広大な大広間の柱の間を歩きながら、アトラスはふたたびドニという文明、その民族について大きな誇りを感じていた。
今や作業は昼夜を問わず行われ(昼夜といっても、ドニ人にとっては起きているか眠っているかという意味でしかないが)、さらに多くのギルドマンがドニから送られてきた。ひとつめの作業支援用トンネルが開通したことでドニから追加の物資を運び込むことができるようになり、掘削の音は絶えず響き渡っていた。
若いギルドマンにとってはそれらすべてが魅力的だった。長期間の単純な探索的掘削作業は今、流通に関しての問題となっていた。大広間の西端に臨時の物資集積所が設けられ、それは日々肥大化していった。現在ここには測量ギルドのメンバーだけではなく、採鉱ギルド、輸送ギルド、食糧ギルド、医療ギルド、機工ギルド、分析ギルド、維持ギルド、石工ギルドからも多くのメンバーが参加しており、芸術ギルドすら四人のメンバーを派遣し、この偉大な事業を絵画に残すためのスケッチに取り掛からせていた。
突然増えた人口に対して食料不足は当然問題となり、食糧ギルドはエル・ドゥナとエル・ジェラーという二冊の偉大なる穀倉時代の書を持ち込むことで解決した。
すべてがスムーズに進んだわけではなかった。大広間を削り出し支える作業に並行して巨大なカッティングマシンが運び込まれ始めたのだが、これら巨大な太古の機械はひとつづつドニから運び出されたため、五日間ものあいだトンネルの他のあらゆる交通をストップさせた。それら機械は輸送に際してまず下層の洞窟で解体され、巨大な半装軌車で輸送されてきて再度組み立てられ、若いギルドマンたちの度肝を抜いた。機械は全部で四台、これらが一同に会するのは歴史的光景であった。二台以上同時に使用されることすらめったになく、一つの現場に四台などということはドニ史上初であった。千八百年前、下層洞窟とタイジャリ鉱山の開通事業以来のブレイクスルーを、彼らはともに体験していた。
機械群の四つのうち三つは残る一つに比べて遥かに古いもので、「古き石の歯オールドストーントゥース」という名で知られる一台は四千年前に退役しており、「岩噛みロックバイター」「掘るものザ・バロワー」は三千年前、いずれもルデナ街道の建設のためにつくられた機械だ。
そして最も新しい一台、「磨り潰すものグラインダー」。これは歴代で最も巨大な機械であり、アトラスを含めた若いギルドマンたちが配属されることになった。
グラインダーはいくつかの段階に分かれて到着した。まずこの「獣」の脳にあたる操作室。これだけでエクスカベーターの四倍の大きさであり、最も特徴的な部分だ。そしてその後二つの巨大な関節脚が到着し、それから数時間かけて、十八の部分に分かれた巨大な本体が運び込まれた。
アトラスはそれらが運び込まれ、広間の北端に積み上げられていく一部始終を呆然と眺めていた。いくらなんでもこれで全部だろう…と思った時、それがやってきた。六台もの半装軌車に支えられた、巨大な切断研削アーム!
そして組み立て作業が始まった。
そこから数週のあいだ、若いギルドマンたちは大広間を駆け回っていた。突如出現した数千人もの他ギルドのメンバーのために、尽きることのない図面、地図、連絡メモ…ギルドからギルドへ、メッセンジャーとして。
それは長く大変な作業だった。
三週めが終わる頃、グラインダーが完成した。組み上げられたグラインダーはまるで奇妙なカエルとカニの中間のような形で、傍らには巨大なアームを備え、その光沢のない黒い巨体を静かに大広間の中央へ屈み込ませていた。他のあらゆる巨大な機械と同様にグラインダーも継続的な修復・改良が施されていたが、その外観は太古の風格を備えたままだった。
グラインダーの前に立ち、アトラスは生まれてはじめて、ドニという民族のおおいなる意志、それに比べてなんと自分はちっぽけなのだろうと感じていた。ドニ人は長命であったが、彼らの暮らしを取り囲む岩、それ理解し尽くすことは一世代程度では到底無理だった。しかし太古のドニ人は機械を用い、その領域へ果敢に挑戦し、わずかな生をもぎ取ったのだ。
グラインダーはただの機械ではない。それは主張だった。岩に放つ大いなる叫び声だった。我らはドニだ!小さく儚いかもしれないが、神々しいほどの挑戦心を持つ生き物だ!
アトラスは周りを見回した。背後にグラインダー。バロワーとロックバイターは黒い甲虫のように左手に横たわっている。正面、暗赤色のカマキリのような姿はオールドストーントゥースだ。
子供の頃、アトラスはオールドストーントゥースの絵本を持っていた。今でもはっきり覚えている。岩に頭を突っ込み、連結されたトレーラーに下部の大きな穴から粉末状の岩を吐き出している絵だった。
今、大人となりそのマシンの前に立っている。アトラスは頷いた。このマシンの前に立って初めて、その本当の大きさとパワーを実感することができる。どんな絵も、これら偉大なマシンを、その素晴らしさを、正確に表すことはできないのだ。
その夜、アトラスは殆ど眠れなかった。
これから始まるのは、自分の子供や孫へ伝える物語だ。昔々、我々ははるかな深みから道を切り開き、グレートシャフトを作り、暗闇から光の世界へと出て行ったのだ…。それらすべてを目に焼き付けること、それはアトラスの今の人生の目的の一つであるように思われた。
翌朝、アトラスは気がはやってしまい、早々に起き出した。
しかし彼のマスターたちは、これまで通り急がず物事を進めていった。試掘孔が掘られ、岩石の分析が行われた。次の数日間は分析ギルドが作業を引き継ぎ、彼らは大広間の中央に臨時研究所を設置すると、サンプラーと呼ばれる小型で弾丸状の自律掘削機を十数機、頭上の岩に打ち込んだ。
そして、そこから数週間。
その間は、アトラスにとってはまったくの欲求不満でしかなかった。ほとんどの準備が終わっているのに、メインの掘削開始の命令が出ないのだ。家族からの手紙ではドニ中が興奮している様子が伝えられてきたが、アトラス自身の興奮はすっかり去ってしまっていた。そしてそう感じているのは、アトラスだけではない様子だった。
メッセンジャーとして走り回った一日が終わり、エクスカベーターに戻ってきたアトラスはギルドマスターの居室の前を通り過ぎようとして、テラニスが机に座っているのに気づいた。首はうなだれ、頭を抱えている。向かう机には一枚の書類が乗っていた。
「マスター、気分がすぐれないのですか?」
テラニスは顔を上げた。その目はどんよりと沈んでおり、疲れているように見える。
「入れ、アトラス…扉を閉めてくれ。さ、座ってくれ」
アトラスは不安を感じつつ椅子に腰を下ろした。
「お前の質問に答えるならば、違う。体調が悪いわけじゃない…少なくとも、体力的には。だがお前が訊いたのはそういう意味じゃないだろう。その意味では、そうだ。私は精神的に疲れている。この感覚はなんというか…」
「失望感、ですか?」
テラニスは疲れた笑顔を返した。
「こんなことになるとは思わなかったんだがな、アトラス…今や全ての物事が私の手を離れてしまった。結局我々は評議会の駒に過ぎなかったようだ。この事業に関してここまで蚊帳の外あつかいをされるとは…アトラス、私は偉大な出来事が起こっている、そう期待していた。我々はその突破口をつくる数少ないメンバーの一人なのだと」
アトラスは驚いていた。テラニスがこのように感じていたとは思わなかったのだ。
「これでは我々はただの道案内役ではないか、アトラス。私は、我々はもっと偉大な存在だと思っていたよ。ただの作業者ではない、探検家なのだと」
「そうですとも、マスター」
「ああ。だが今や邪魔者だ。我々の仕事は終わったらしい」
「ではなぜ、彼らは私達をドニへ帰さないのでしょう?」
テラニスは書類を示した。アトラスはすばやく目を通し、驚いた。
「終わり…なのですね」
「そうだ」
テラニスは静かに続けた。
「だが帰還は開通式典の後になるだろう。まあ、我々が式典に参加しないというのもおかしな話だからな」
テラニスの声に含まれる苦い響きにアトラスは驚いた。テラニスは常に自己というものを押し殺して物事に当たってきた。このように腹を立てる姿を見たことはなかった。しかしテラニスは打ちひしがれ、明らかに傷ついているようだった。
「マスターの貢献はきっと正しく評価されますよ」
「かもな」
テラニスは投げやりに答えた。
「だが評価されるのは私やお前じゃない、最初に地表に足を踏み出した誰かさ。その名誉は他のやつが持っていく」
テラニスは黙って机の命令書に目を落とした。
「すまない、お前にあたるつもりはなかったんだ。私の言ったことは忘れてくれ」
アトラスは頷いた。
「もちろんです」
アトラスはしばらく立ち尽くした。なにか声をかけなければ。
「マスターのせいではありませんよ。これまで私達を導いてくださったではありませんか。私達はそれを忘れません」
はっとしたように顔を上げたテラニスは、再び背を向けるとうつむいてしまった。その目には暗い影があった。エファニスのことを考えていることは明らかだった。
「掘削は明日から始まる。開通式は一週間後に行われるだろう。時間を有意義に使え、アトラス。全てをよく見ておくんだ。…再びここへ来られるのは、いつになるか分からないのだからな」

翌朝、本格的な掘削作業が始まった。
まずはオールドストーントゥース。アトラスが読んだ絵本のイラストのように、その巨大な顎が大広間の天井に差し込まれた。黒い岩の表面に食らい付く様子はまるで飢えた獣のようで、削り取られた膨大な岩石は下部の三つの穴から滝のように巨大なトレーラーへと吐き出されつづけた。巨大なホッパーに貯まる暗灰色の岩石はいつまでもその嵩を減らすことはなかった。
何も聞こえなくなるほどの騒音の中、オールドストーントゥースは三時間かけてその長い脚をゆっくり伸長し、天井に掘られた巨大な穴の中へとその体を沈めて行った。そしてついに、大きなきしみ音を響かせながら、その巨大な水圧脚が折り畳まれはじめた。ここからはグラインダーの出番だ。
オールドストーントゥースはゆっくり後退し、大広間の北側へ移動させられた。その前面は黒く汚れ、巨大な掘削顎からはまだ蒸気が上がっている。それと入れ替わるようにしてグラインダーが激しくきしみながら前進し、オールドストーントゥースが掘った穴の真下へと移動した。整備士たちがアトラスたちの前を駆け抜け、小型の半装軌車で六つの巨大な石のブラケットを持ち上げ、グラインダーを床へと固定した。
小一時間で準備が整うと、整備士たちは防護壁の後ろへと下がり、同時に特製の黒い防護スーツを着込んだ五人の特別掘削チームのメンバーがグラインダーへと乗り込んでいった。
グラインダーは五分ほどエンジンの試運転を行ったのち、その強力な水圧脚で巨体を起こし、飛び跳ねる前のカエルのような体勢をとった。四つの円形石版が合体したような形の掘削碗をダンサーのように高く掲げると、なんの警告もなく岩の中へと肘部分まで突っ込んだ。
オールドストーントゥースの騒音を「やかましい音」だとするなら、グラインダーはもはや「耐え難い音」であった。イヤーマフ付きのぶ厚い作業ヘルメットをかぶっているにも関わらず頭の中を抉ってくるような高音に、さすがのアトラスも顔をしかめた。
岩が削られるに従ってゆっくりと関節碗が伸びていく。削られた場所にはまるで天井を支えるように大きな十字の形が残されていた。予定地点まで到達したグラインダーは高い音を立てながら蒸気を噴出し、掘削碗を内側に引き戻した。
アトラスはようやく騒音から開放されたことに安堵のため息をついたが、それはほんのわずかな間の救いであった。一分もたたずにグラインダーは手足の位置を変えてわずかに体を上昇させると、先程作った「足場」と同様のものをまたすぐ上に作り始めた。そしてオールドストーントゥースが掘り出した穴を広げて、巨大な空間が形作られるまで一連の作業は続いた。しかしまだそれで終わりではなかった…シャフトの壁面からは更に多くの岩を削り出す必要があるのだ。その表面をナラで覆い、筋交いの支柱で補強する前に。
そしてロックバイターとバロワーが運ばれてくる前に、まず掘り上げられたシャフトの上から三分の二ほどの位置にプラットフォームが作り上げられ、強力なウインチでオールドストーントゥースとグラインダーが持ち上げられた。
そして再び同じ作業が始まった。二台のエクスカベーターが主ルートを切り開き、その下方で若干小さめな残りの二台が仕上げをしていった。シャフトの壁を磨き、またこの巨大な井戸の壁を螺旋状に昇っていく階段を削り出す作業だ。
技士ギルドのギルドマンたちがプラットフォームを構築する準備が整うころ、しばらくやるべきことが何もなくなった測量ギルドの若手たちはあたりをぶらぶらし始めた。
アトラスもその最後尾で、肩越しに後ろを振り返った。
測量ギルドのキャンプはかなり先、ドニ方面へと道に沿って歩き、さまざまなギルドのテントや装備でいっぱいの要室をいくつか通り抜けたその先にある。道すがら、尽きることなくドニからやってくるギルドマンの隊列や交通整理を行うシティ・ガードの一団を眺めながら、アトラスはテラニスの感じていた失望と同じものを感じている自分に気づいた。
事業は自分たちの手から取り上げられてしまった。
かくも壮大な事業だというのに我々は、なんと些末な扱いであろうか…。
そしてあと六日もすれば、ここから去ることになるのだ。
アトラスはため息をついた。仲間たちはもうずっと先を歩いている。彼らがわいわい話す声や笑い声には明るい響きがあった。彼らがみな、はやく家に帰りたいという気持ちでいることをアトラスは知っている。この事業が自分たちのものなのかどうか、誰が地表への突破口を作ったのかどうか?気にしている者はいない様子だった。少なくともマスター・テラニスとアトラス以外には。
だが、マスター・テラニスは正しい…始まりがあれば終わりがある。まさにそうとしか言えなかった。
そしてドニの文化とは、それぞれが専門分野として細分化したギルドが織りなす一枚のタペストリーであり、それぞれの領域が純粋に独立し、研鑽を続けてきた。これからもだ。そして、測量ギルドはまさにそれを体現しているギルドだった。
要室のゲートをくぐり、自分のキャンプが設営されているプラットフォームへ足を踏み入れたアトラスは、北側に停められている自分たちの「船」を見て微笑んだ。今後なにか仕事があった時も、再びエクスカベーターのクルーとして働きたい。そうしてもらえるかどうか尋ねてみようと思った。
妙に興奮した様子のテラニスがやって来てアトラスの姿を認めると、これからすぐ部屋へ来れないか尋ねてきた。特に用事もないアトラスは快諾し、二人はテラニスの部屋へと移動した。
「アトラス!」
アトラスが椅子に座るのも待たず、テラニスは話し始めた。
「素晴らしいニュースだ!評議会は決定を再考したぞ。地表への初進出を行うメンバーは慣例に従って維持ギルドのみで行うのではなく、探検隊チームからもメンバーを選抜し、調査団として付随させることを許可するそうだ!」
アトラスは驚き、笑顔になった。
「では、我々は仕事をきちんと終わらせることが出来るんですね!」
テラニスは頷いた。
「私は、私に同行する六人のギルドマンを選んだ。もちろんお前も含まれる」
「マスター…なんとお礼を申し上げればいいか」
「ああ、私に感謝する必要はない。お前の友人、ヴェオヴィスに感謝するといい。」
「ヴェオヴィス?」
アトラスは驚いて頭を上げた。ヴェオヴィスには数週間前に手紙の返事を送っていたが、あの贈り物についての感謝の内容であり、評議会の決定については何も記していなかったからだ。
「なぜヴェオヴィスが?一体…」
テラニスは座って、机の端に置いてあった手紙アトラスに手渡した。
「お前の友人かつ恩人、ヴェオヴィスは、彼の父親が病気になって以来二ヶ月間、評議会で活発なメンバーとして存在感を高めてきたらしい。彼の主張が評議会の古株たちを動かした。『メンバーには測量ギルドからも何人か含めるべきだ』とな。明確な反対は出なかったようだ」
テラニスは微笑んだ。
「彼に感謝しなければならんな」
「彼に感謝の返事を書きます、マスター」
「その必要はないさ」
テラニスはアトラスから手紙を取り返すと、言った。
「ヴェオヴィス本人がここに来る。六日後にな。我々は全評議会が出席する式典にて表彰されるそうだ。ドニの料理人は一人残らず祝宴の準備に駆り出されているらしい。これはきっと何かのきっかけになるだろう。そうだ、我々の小さな冒険が、ついに実を結んだのだ!」

流れるように日は過ぎ、六日目の夜。測量ギルドの予定時刻きっちりにグレートシャフトは完成した。最後に曲線の形に成形されたナラがボルト締めされ、刃の一枚だけで人の三倍の大きさをもつ巨大な換気扇が八十も取り付けられ、動作を開始した。
それは壮大な光景だった。アトラスは大広間の床に立ち、小さなスリルを感じていた。、花崗岩むきだしだった床面は、今はすべて大理石で舗装されている。その中央にはドニの街を描いたモザイク画。それを囲むように明るい青色のモザイクの輪─外の世界の象徴だ。それだけでも素晴らしいものだったが、彼の目は上に吸い寄せられた。垂直に伸びる完全な円形の壁に沿って、階段が渦巻状に黒い筋となってはるかな高みへと伸びている光景。
アトラスは振り向き、思わず口を開きっぱなしにしてしまった。壁に置かれていたファイヤーマーブルの数は二万とも言われていたが、それら一つ一つがランプの中に移され、換気扇の起こす振動でかすかに揺れていた。巨大な換気扇の回転に合わせてそれらは激しく輝き、澄んだ光でその壮大な壁面を照らした。
遥かに目をやると、すでに糧食ギルドの制服を着たギルドマンたちがせわしなく立ち働き、一辺に二十人は座れるほどの巨大な木のテーブルを大広間に運び込んだり、南の壁面にしつらえられたオーブンに注意深く張り付きながら、明日振る舞われるであろうご馳走の準備を行っていた。
オールドストーントゥースは解体され、二日前にドニへと帰っていった。グラインダーは昨日。ギルドマンがテーブルを設置し、宴会が開催される中央エリアを取り囲む大規模な骨組の建設を行っている間、採鉱ギルド員は大広間の反対側で忙しくロックバイターとバロワーの解体作業をすすめていた。明日には、この二台もここからいなくなるだろう。
すべての作業から解放されたアトラスは、あたりを歩き回りながら目に映るすべての事柄を自分のノートブックに記録していた。きれいなテーブルクロスや椅子が積み込まれた半装軌車が到着するのを眺めているところへ、二人の見知らぬ人が近づいてきた。
「アトラス?」
アトラスは振り向いた。背の高いマントをまとった男がアトラスに微笑みかけている。その後ろにはマントのフードを被った背の低い男…背は曲がっており、フードであまり特徴が見えない。
「失礼」
背の高いほうが言った。
「アトラスだね?ヴェオヴィスだ。何年ぶりだろう…会えて嬉しいよ」
ヴェオヴィスはアトラスより頭一つ分背が高く、肩幅が広い男だった。ハンサムな顔立ちにもかかわらずとても控えめで、堂々とした礼儀正しさを感じさせる…父親にそっくりだ。
アトラスはヴェオヴィスと握手し、その笑顔、無警戒な眼差しに驚きを隠せなかった。
学生時代に知っていた彼とは全く違っている。別人と言っても良いほどだ。
「ヴェオヴィス卿」
アトラスはノートブックをしまいながら言った。
「感謝を申し上げなければなりません」
「ドニも君に感謝しているよ」
ヴェオヴィスは微笑んだ。
「君にも、もちろん君の仲間たちにも」
ヴェオヴィスはちょっと振り返り、すでにフードを脱いでいた同行者を紹介した。「こちらは私の友人で、チーフアドバイザーでもある、リアニスだ。彼が最初に、君の火砕性堆積物に関する論文を私に教えてくれたんだよ」
アトラスはリアニスに会釈し、ヴェオヴィスの付き人としてはとても高齢であることに驚いた。
「リアニスは父のアドバイザーだったんだ。その前は彼の父親がその役目だった。父が病に伏せた時、彼をアドバイザーとして引き継ぐことにしたんだ。彼の経験と智慧はすばらしいからね。そして幸いにして、彼は私の若さが引き起こすさまざまな間違いから救ってくれたんだ」
アトラスは頷き、リアニスと向き合った。
「マスター・リアニス、私の論文内容はすでに多くの研究者により研究されており、私独自のアイデアは殆どありません。それにもかかわらずあなたが注目してくださったことに、驚きを覚えています」
リアニスは無表情のまま、その顔の、岩に深くきざまれたような皺そのものの雰囲気をたたえた瞳でアトラスを見つめ返した。
「良い仕事はビーコンのように輝くものだ、ギルドマン。若者の仕事にありがちな独自性は必ずしも必要ない。事実を明らかにすることへの純粋な精神こそが重要なのだ。私は君の文章に真剣な意図を見出した。そして若君のお父上へ進言したのだ。それが私の仕事であり、感謝されるようなことではない」
アトラスは微笑んだ。
「それでも、感謝いたします。マスター・リアニス。そしてヴェオヴィス卿。お贈りくださった機器はとても役に立っています」
「正しく動作しているようで安心したよ…いや、もちろん不良品だと思ったりはしてなかったけどね」
二人は互いの目を見て微笑んだ。
「そろそろ行かなければならないようだ。父のギルドマンたちが私を待っている。だがまた話をしたい、アトラス。明日はほとんど時間がとれないだろうから、君がドニに戻ったとき、私を尋ねてきてほしい」
アトラスはお辞儀をして言った。
「仰せのままに」
ヴェオヴィスは小さくうなずくとリアニスを一瞥し、共に歩き出した。
小さくなっていくマントの後ろ姿をしばらく見つめ、アトラスはなにか不思議なことが始まったという感覚に浸っていた。そしてポケットからノートを取り出すと、今日の出来事を振り返り、シンプルにこう記した。
「ヴェオヴィスと再会。彼は変わった。人はいつまでも子供のままではない。ドニでの再会を求められた」
アトラスはしばらく手を止めてから、追記した。
「また会うだろう」
ノートを閉じポケットに入れると、アトラスも振り向き、明るく光のこぼれるトンネルの出口へと急いだ。

グレートシャフトの完成を祝う盛大な宴はほぼ終わった。
芸術ギルドの若いギルドマンたちは宴の輪の外側で、偉大な人々がお互いに別れの挨拶をしている光景を急いでスケッチしていた。
これは、ドニの人々にとっての最も新しい冒険を寿ぐ、演説と詩に彩られた特別な場であった。ドニへ戻ったらこの場を切り取ったさまざま絵画やタペストリーがギルドハウスの廊下に飾られ、後世へと伝わっていくことだろう。だが現時点ではグランドマスターたちはもっと現実的なことを話していた。国家の問題はある人物やある出来事で止まったりはしない。これほど偉大な出来事であってもそれは同様だった。話し合われるべきことはいくらでもあった。
主要な十八のギルドが一堂に会する機会はそうそうあるものではない。大広間は各ギルドそれぞれ違う色の儀礼用マントによって色鮮やかな光景となっている。また、それぞれのマントは階級や肩書を表すシンボルで装飾されており、本の中でしか見たことのない光景を目の当たりにし、アトラスはほとんど子供のように目を輝かせていた。
アトラス自身のマントは、他の若手ギルドマン同様に階級はなく、左右の襟下に四つずつ、合計八つの同じシンボルが描かれたものだ。大公のものはシンボルが一つである。
宴会場の向こう側に目をやると、ヴェオヴィスが座席から立ち上がって大男の一人に挨拶しているのが目に入った。今日この場には五元老のうち四人が出席している。ヴェオヴィスの父親が五人目であるが、病のため欠席している。また、十八のギルドのグランドマスター全員が、ギルドを代表して出席している。その他数百人のシニアマスターと合わせて、全員が各ギルドのカラーで統一されていた。
若いギルドマン達にとっては、彼ら─四人の元老に加えてヴェオヴィス─がある意味宴の主であった。二八七歳といわれるトゥラ卿と、三人の友人達…リラ卿、ネヒル卿、エネア卿はともに二百歳台。それに比べるとヴェオヴィスは赤ん坊といってもいいくらいだが、暗い影に抗い輝く太陽のようであった。とりわけトゥラ卿は、彼がその一生を暮らした岩そのものとなり、そこから削り出された彫刻のように見えた。
いつの日か、もしもアトラスがグランドマスターに、あるいは五元老になる日が来るかもしれない。仮にその素質を備えていたとしても、そこへ至るまでの道程の長さと峻しさ、壁の高さ、そして日々の長さは、全く見当もつかなかった。
アトラスにはこの遠征でひとつはっきりしたことがある。それは孤独を好む気質であるということだ。仲間たちとの日々を通じて、自分自身の殻を抜け出し、性格が丸くなる…そんなことがあるかもしれないと考えていた。だが、そうはならなかった。仲間たちとは確かに色々なことをやり遂げた。彼らが好いてくれるように、アトラスも彼らのことが好きだった。しかし彼らが常に必要とするもの…小さな気晴らしを、アトラスは彼らと分かち合うことをしなかった。
年寄りくさい、母はよくそう言っていた。年寄りくさくて真面目すぎ。アトラスも気にはしていた。だが今は、自分を変えることはできないと知っていた。そして他の人々…マスター・テラニスを含む人々は、この真面目さを評価してくれている。それは弱みではなく、強みなのだと。
それでも、アトラスは悩んだ。今後ギルドハウスでの暮らしに戻ってうまくやれるだろうか?アトラスが心配しているのは仕事、つまりは研究や訓練のことではなく、もっと個人的なことについてだった。祝宴での偉大な人々を見て感じたのは、出世するためには、小さくとも、自分のなにか大事なものを犠牲にしなければならない、ということだ。
選択肢があるとしたら、アトラスはその人生を発掘に費やすことだろう。岩を削り、測量する。しかしそれは若者の仕事だということはわかっている。アトラスも永遠に若くはいられない。時が経つにつれ、責任を負うようになるだろう。最初は小さくとも、仕事は次第に大きくなり、岩ではなく人を動かしていかなければならなくなる。
テラニスと目があった。彼は銀色の盃を掲げ、乾杯の動作をとった。アトラスも盃をちょっと持ち上げたが、飲まずに下ろした。仲間たちはみな酔っているようだったが、アトラスはテーブルに供されている強いワインの注ぎ口にも手を触れることはなかった。
実際、そうしていいのであればアトラスは一時間前にはもうこの場を去っていただろう。だがマスターたちより先に席を立つのは礼を失することになる。アトラスは仕方なく終わった宴の廃墟のような場にとどまり、一人、また一人と老人たちがテーブルから立っていくのを眺めていた。
「おい見ろよ」
誰かがアトラスの右耳に囁いた。
「若君のおでましだぜ」
アトラスが顔を上げると、ヴェオヴィスがこちらへやって来るところだった。アトラスを見て微笑むと、テラニスへと向き直って言った。
「マスター・テラニス。ギルドマン、アトラスと個人的に話してもよろしいでしょうか?」
「もちろんですとも」
アトラスは突然注目が集まったことを恥ずかしく思いながらも、立ち上がりテーブルを回り込んでヴェオヴィスのもとへ向かった。
「すまない、アトラス」
ヴェオヴィスは低い声で続けた。
「今回も長居できないのだが、トゥラ卿は私に一日余分に滞在する許可をくださった。明日、ブリーチングの後に話ができないか?」
ブリーチングとは、トンネルの完成を祝う小規模なセレモニーのことだ。アトラスは頷いた。
「構いませんが…」
「よし」
ヴェオヴィスはアトラスの手を握り、そこでアトラスが恥ずかしがっていることに気づいたようで、手を離した。
「では明日な」

その夜、エクスカベーターはグレートシャフト最上部の足場へとウインチで持ち上げられた。アトラスはテラニスと並んで立ち、金属製の格子の上へ降ろされるのを眺めながら、誇らしさを感じていた。このエクスカベーターよりもより大きく、より効率的な機械がすでにあるとはいえ、この旅の最後の一歩を締めくくることができるのだ。
先だって、マスター・テラニスは朝にはドニへ帰還する若手へと別れの挨拶をするかのようにスピーチを行った。すでにマスター・ゲラン、アトラス、そしてその他には五人しか残っていなかった。残る仕事は一つ。最終的に地表へ到達した時、ギルドを代表して同行すること。
「どれくらいかかるでしょうか」
アトラスはテラニスに尋ねた。テラニスは、奇妙な形をした「手」がウインチチェーンを取り外し、エクスカベーターをその下から台座を取り外すことが出来るよう持ち上げていく様子を注意深く見守っている。
「一週間、もしかしたらもっと短いかもしれん。どうした?待ちきれないか」
「いえ、そんなことはありません」
「よし。おまえをがっかりさせたくないからな」
「何のことですか、マスター?」
テラニスはアトラスを横目で一瞥した。
「トンネルは掘られるだろう。だが我々が本当に地表へ踏み出せるかどうか、それは別の話だ。それは評議会の最終会合で決まる」
アトラスは目眩を覚えるほどに混乱した。これほど近くに迫りながら、地表へ踏み出すことができないだって?
「もう決まったことだと思っていました」
テラニスは曖昧に頷いた。
「私もさ。だがこれは重要なことだ。多分ここ数世紀間に話し合われたどんなことよりもだ。もし誤れば、ドニは苦痛を被るだろう。だからこそ評議会は最後まで熟考するのだ。なにせ今日、宴席で互いにお祝いを述べながらも、彼らはまだそのことについて議論していたくらいだからな!」
「では仮に中止となれば?」
振り向いたテラニスと目が合った。
「帰るのさ。家に」
「しかしトンネルは」
「封鎖されるだろうな。少なくともこの頂上部は。仮に地表の住人がこの場所を見つけたとしても、シャフトまで掘る技術は無いだろう」
「わかりました」
「いいや、アトラス。お前にはわからん。私にもわからん。元老がどう考えるかは。だが彼らの最終的な決定が下されたら、それがどうであれ従わなければならんのだ」
「マスターはどう思われるのですか。彼らは、我々に地上人と接触することを許すと思われますか?」
テラニスは低く笑った。
「もしそれが分かればな、アトラス。私は元老になっているよ」

深夜、アトラスは、遥か深くで巨大なゴングが鳴らされたような音と主に足場が揺れていることに気づいて目を覚ました。他のものは相変わらず酔って眠っており、そのわずかな振動には気づいていないようだ。しばらくすると静けさが戻ってきた。足場は問題ないようだ。アトラスがしばらく訝しんでいると、それは再びやってきた。より強く、大きな音だ。
アトラスは毛布を剥いで起き上がり、足場のへりまで歩き、奈落を覗き込んだ。シャフトすべてが振動し、底にある全てが、低い、唸るような音を立てている。
この三ヶ月間、大地は静けさを保っていた。しかし今、それは再び目覚めたのだ。
アトラスはエクスカベーターのそばで眠っている仲間たちのもとへ引き返した。しかし彼らはまだ死んだように眠っていた。起きているのはアトラスだけだ。
アトラスはマスター・ゲランのそばでかがみ込み、静かに揺さぶった。はじめは目を覚まさなかったが、しばらくするとその盲目のまぶたをを開いた。
「アトラス?」
なぜかはわからないが、ゲランは正確に相手を言い当てた。
「振動だ」
ゲランは静かに言った。
「シャフトがパイプのように震えとるわ」
ゲランは立ち上がり、トンネルの中央に顔を向けた。しばらくそのままじっとしていたが、再びアトラスに向き直ると、言った。
「起こしてくれ」
アトラスはかがみ込み、ゲランが立ち上がるのを手伝った。
「何回あった?」
シャフトのふちまでそろそろと歩いていき、ゲランは尋ねた。
「三回か、それ以上です。私が目覚めてからですが」
ゲランは頷いてしゃがみこみ、右手で足場の表面を優しく撫でた。
二分か三分の間そのまま様子を見ていたところ、再びやってきた。さっきより強い、いや、さっきどころではない強さと長さだ。その音がおさまると、ゲランは立ち上がり、首を振った。
「どちらの方角かを示すのは難しいな。シャフトが力を受け流してしまっておる。だが強い。なぜこれで目が覚めんかったのやら」
アトラスはゲランがどれくらい飲んでいたか知っていたので、ちょっと微笑んだが、何も言わなかった。あれほど飲んでいて、揺すって起きてくれた事のほうが驚きだった。
「皆を起こしますか、マスター?」
「いや、そのままにしておけ。どのみち最後の測量ではっきりするし、多分問題なかろう。儂らは以前同定した等層厚線図のはるか北側をやって来た。なんらかの火山活動があるにせよ、全てここからは遠い場所だ。儂らが聞いたのは、単に岩の反響にすぎん。確かに気にはなるが、害はない」
ゲランは微笑み、腕を軽く叩いた。
「じゃあ儂はまた寝るぞ、アトラス?明日は長い一日になりそうだからな」

ゲランの言葉に安心したアトラスは再び毛布に戻るとたちまち眠りに落ちた。地面が揺れてももう気づくことはなく、実際、マスター・テラニスに肩を揺すぶられて起こされるまで、深く、昏睡したように眠っていた。
「起きろ、アトラス。着替えて顔を洗え。式典は三十分後だぞ!」
彼らはカッターの前に、維持ギルド員たちと並んで整列した。維持ギルドはこの地表への旅における最終段階の監督役である。
維持ギルド員たち…維持官メンテナーは最古のギルドの一つで、非常に重要な役割を担っている。彼らのグランドマスターは、筆記ギルド、採鉱ギルド、製本ギルド、インク製造ギルドにならんで、しばしばドニの最高権力、五元老のメンバーとなってきた。その任務は変わっていて独特であるとはいえ、普段の彼らの仕事はドニの「書」を確実に順番どおりに保管すること、「時代」を正常に「動作」させること、そして長きにわたる世代がしたためてきた法を執行することであった。彼らはトンネルの掘削にはほとんど関わることはなかった。実際、いつも大地と岩と石ころを相手にしているような「肉体派」のギルドマンたちは、彼らに聞こえない場所でひそかにこう呼んでいた。
手のきれいな奴らクリーンハンデッド
だが彼らメンテナーというものは、その目的のために特殊な訓練を積み、かつそのメンバーには採鉱ギルドや測量ギルドから引き抜かれた者も含まれていた。
彼らの任務はこの最終掘削の実施と、もし地上人を発見した際には、メンテナーが最初の接触を行うことである。これは非常にデリケートな事柄であり、彼ら以外にそれは許されていない。
ギルドマスターのうち何名かは、先日の宴の後もこのセレモニーのために残っていた。とはいえ二人の元老、トゥラ卿とエネア卿の前に並ぶ人々は、そう多くはなかった。そして彼らの後ろ、五人のグランド・マスター達のグループの中には、ヴェオヴィスがいた。
トゥラ卿がいくつか言葉を述べて、前へ進み巨大なカッターを動作させるレバーを引き下げた。ヴェオヴィスがアトラスへ、小さく頷いてみせた。
アトラスは思った。ここにいる評議員たちは、地上人との接触に関して賛成派なのだろうか?気にし過ぎだろうか?残りは単に忙しくて参加できないだけなのだろうか?
トゥラ卿が下がると、命を得たカッターのエンジンが激しい音を響かせ、円形の刃を回転箚せ始めた。はじめはゆっくり、次第に早く、岩に突き刺さる頃には十分なスピードとなっていた。
簡素なセレモニーはこれで終了であった。元老は踵を返して去り、マスター・テラニスが合図をすると、測量員たちは列から飛び出していった。
ヴェオヴィスがメッセンジャーギルドのマスターとの会話に忙しそうなのを見て取ったアトラスは、機械を眺めつつ待った。しかし、昨夜の音は一体なんだったんだろう…。
マスター・ゲランは早くに起き出し、最後のトンネルを掘削予定の岩を音響測定したようだ。結果、異常なし。大地の振動も止んでいた。ゲランとテラニスは昨夜の地震は深刻なものではなく、古い断層が安定することで発生した動きにすぎないだろうという見解で一致した。アトラスは納得しきれないものを感じてはいたが、二人の経験に従うことにした。
「アトラス?」
振り向くと申し訳なさそうに微笑むヴェオヴィスが立っていた。
「たびたび本当にすまない。またすぐ行かなければならないんだ…だが戻ってくる。今夜、トゥラ卿と会った後に。彼はセレモニー後もここに滞在するとは思ってなかったんだがな…なぜか残ることを望まれたんだ」
「わかりました」
「良し」
ヴェオヴィスは言葉を続けることなく、踵を返すと急いでトゥラ卿のもとへ向かって行った。彼らの一団はそのまま、特別に一時的にシャフトの壁に設置されたエレベータへと乗り込み、軌道に沿って巨大な井戸のようなシャフトを下っていき、見えなくなった。
何故だろう。アトラスは、ヴェオヴィスとの会話が長引かなかったことにほっとしていた。ヴェオヴィスはアトラスと友達になろうとしている。そう見える。でもどうして?彼にはほとんど意味がないだろう。周りに友達がいないのだろうか。仮にそうだとしても、もっと他にいるだろう。彼の社会的地位に釣り合った誰かが。
いずれそれは明らかになるだろうが、アトラスは疑わずにいられなかった。岩は正直だ。機嫌によることもあるが、それは読み取れるし、その先の行動も予測できる。だが人間はそうはいかない。
振り向くと、カッターは既に岩に深く潜り込み、まるで巣穴を掘るゾウムシのようだ。アトラスは座り込み、ノートを取り出し膝に広げると、周りのすべてを記憶するように眺め回した。
今夜。
アトラスはヴェオヴィスの言葉を反芻したが、頭を振ってそれを追い出すと、スケッチを始めた。

襲ってきた衝撃の規模を手のひらに感じたアトラスは、思わず腕を伸ばした。そしてそのまま前方に投げ出され、隔壁に額をしたたかに打ち付けた。エクスカベーターはその全体を地面から浮き上がらせた後、横倒しに転がった。
五秒ものあいだ激しくエクスカベーターは揺さぶられ、悲しげな、引き裂かれるような大きな音を響かせた。
そしてすべての音が止んだ。
アトラスは力を振り絞って立ち上がった。脇腹に手をやる。出血しているようだ。外ではサイレンが鳴りはじめた。しばらく電灯が薄暗くちらつき、非常灯に切り替わった。どうやらエクスカベーターは完全に転覆しているようだ。それまでの床面が背中側にある。
傾いた廊下をなんとか片手伝いに進み、今や天井側になった出入り口に這い登ると、アトラスは周りの様子を確認した。
ギルドマン達が駆け回り、切羽詰まった叫びを互いに交わしている。足場の反対側では巨大な金属格子の一部がねじ曲がり支えから滑り落ちて、危険な状態でシャフトの空間にぶら下がっていた。その向こう側、シャフトの壁面を、黒い線が蛇のように這い登っていく。
アトラスは叫びだしそうになった。シャフトが裂ける!ナラ製の壁面が次々と裂けていく!
地震は最下部も襲っているにちがいない。周りを見渡すと、新しいトンネルの入口が割れているのが目に入った。大きな岩の塊がアーチ部分から落ち、トンネルは半分塞がれている。奥にいるはずのカッターは閉じ込められてしまったことになる。
アトラスが立ち尽くしていると、テラニスがやって来て腕を掴んで振り向かせた。
「アトラス!すぐにヘッドギアをつけて私に報告しろ!今すぐここから退避せねばならん。もう一度来たら、この足場は保たん!」
アトラスは声も出せず、頷くことしかできなかったが、ただちにエクスカベーターの中へ引き返し、数分後には備品室から二本の予備酸素ボンベと吸気マスクヘルメットを持ち出して戻った。もしシャフトの空気供給が破れていたら、すぐに呼吸が問題になる。特に大きな換気扇のどれかが損傷していたらまずい。
アトラスを見てテラニスは手招きした。何名かのギルドマンはすでにテラニスに合流していたが、ゲランの姿はなかった。
皆を落ち着かせるように静かな声で、テラニスは彼らに指示を出した。パワー・ドリルをいくつか持ってくること。防護服を持ち出すこと。最後にアトラスに向かって言った。
「マスター・ゲランは死んだ。アトラス」
テラニスの声は静かだった。
「衝撃が来た時、彼はシャフトのふちに立っていた。穴へ放り出されるのを見た」
アトラスは腹を殴られたような衝撃を受け、痛みに小さく呻いた。
「気持ちはわかる」
テラニスはやさしく肩に手を添えて言った。
「だがそれは生き残ってからだ。カッターの乗組員の消息も未だ不明だ。メンテナー達も彼らと一緒だった。もしトンネルが崩落しているとしたら、掘り出して救助しなければならん」
アトラスは頷いたが、まだ呆然としていた。ゲランが死んだ。そんな馬鹿な。
「何…何をすべきでしょう」
アトラスは折れそうな心をなんとか繋ぎ止めていた。
「お前に特別任務を与える。とても勇気のいることだが、下へ向かえ。下の広間へ降りて誰でもいいからつかまえて、ここの状況を伝えるんだ。シャフトの壁に亀裂が入り、カッターチームが閉じ込められていると。そして可能ならただちに助けをよこしてほしいと。できるか、アトラス?」
「マスター」
アトラスはしかし、凍りついたように動けなかった。
「どうした、アトラス?」
テラニスは穏やかに促した。
その言葉がアトラスを開放した。酸素ボンベの一つを背負うと、ヘルメットを引き下げ、アトラスは階段へ向かって走り出した。
だが道は塞がれていた。巨大なナラの石版が入り口を塞ぐように剥がれ落ちており、アトラスは別な道を探した。アトラスは臨時エレベータの軌道付近まで戻った。階段は通行不能だ。残る道はエレベータの軌道を手で伝って降りる方法だけだ。はるか底まで。
しばらくためらった後、アトラスは穴へ身を乗り出し、広い軌道のレールの間にかかっているメンテナンス用の梯子をがっちり掴んだ。制服の首元の金属クリップを横目で確認する。もしまた大きな揺れが襲ってきたら、そのクリップで梯子に固定し、あとは梯子が壁面から剥がれ落ちないことを祈るだけだ。
もしそうなったら…。
アトラスはその考えを振り払い手元の作業に集中すると、降下を始めた。

アトラスがおよそ半分ほど降りた頃、二度めの地震が襲いかかった。
とっさに金属の支柱に鈎を引っ掛け梯子にしがみつき、足のつま先を梯子と壁の間の隙間に突っ込む。
今回の揺れは長く、シャフト全体はパイプオルガンのように揺さぶられ、はるか頭上の足場からさまざまなものが落下してきた。
真横の金属レールが苦しげな軋み音をたてる。アトラスはレールを岩につなぎとめているボルトが弾け飛ばなくて本当に良かったと思った。もしそうなっていたらアトラスはあっという間に梯子から振り落とされていただろう。
揺れは永遠に続くかと思われるほど続いたが、何かが崩落する響きとともにようやくおさまった。
そして不気味なほどの静けさがやってきた。遥か下方、大理石のフロアでなにかガラガラと崩れる音が聞こえた。
アトラスは目を見開いた。シャフトの反対側の壁に大きな隙間ができていた。今やあらゆる箇所にひび割れが走っており、巨大な成形部分は問題なかったが、その背後の壁面はまるでそのまま後退したかのようで、成形部との間に広い隙間を作っていた。壁面に設えられていた螺旋状の階段はいたるところで崩落しており、巨大な固定用リベットが壁面でぐらぐらと揺れている。
その光景に、アトラスは胃袋が落ちていくような感覚を覚えた。シャフトはすべて完璧で永遠に保つだろうと思われた、あのシャフトが。もう一度揺れがきたら全て崩壊し、なだれ落ちてくるだろう。
体を固定していた鈎を外し、アトラスは再び降下し始めた。ふくらはぎや肩が痛むが、時間がない。こんな途上で死ぬわけにはいかない。
少し下方から叫び声が聞こえた。
その源を探して下に目を滑らせる。エレベーターのゴンドラだ。
四十か五十スパンほど下方、軌道レールがゴンドラの重量によって壁面から大きく膨らむように剥がれており、ゴンドラは吊り下げられた状態となっていた。
再び叫び声と、助けを求める悲鳴が聞こえる。
「頑張れ!」
アトラスは叫び返した。
「待ってろ、今行く!」
シャフトの最下部まではまだ五百スパンはある。しかし…アトラスは状況を見て取った。レールは壁面から剥がれている。助けに行くにはそのレールを伝って降りて行かなければならない。
ある程度の長さのロープがあれば…だがアトラスは酸素ボンベの他に何も持っていなかった。アトラスは足元の梯子がしっかりしていることを確かめ、意を決すると体を伸ばしてレールをしっかりと掴んだ。
掴んだ場所のすぐ下で、レールを壁面に留めているボルトが一本抜けて弾け飛んだ。アトラスは瞬時に考えた。このまま自分の体重がかかったら、よりレールは壁から離れ、ゴンドラは遥か下へと落下してしまわないだろうか?
…賭けるしかない。
軌道の外側には、ゴンドラの片側と噛み合うような溝が彫られている。ゴンドラを貫いている大きなガイドワイヤーは千切れてしまっており、今やその溝の噛み合いがゴンドラを落下から食い止めている。もし外れたら…。
大地の底でわずかに地鳴り画した。バラバラと落ちてきたものがはるか大理石の床に散らばった。ゴンドラがきしむ。
今しかない。アトラスは決心した。大きな揺れが来る前の今しか。
五つ数えて、アトラスは軌道レールに飛び移った。レールに刻まれた歯に指をしっかり食い込ませる。その足の下にはなにもない。奈落だ。
レールはギシギシと軋んだが、崩壊はしなかった。アトラスは手を動かし、ゆっくりレールを伝っていった。右手。左手。目はただ先の壁面だけを見つめ、ボルトが外れないことを祈りながら。そして、ついにその足先がゴンドラの天井部分に到達した。
アトラスは大きく息をつき、再度声をかけた。
「大丈夫か!」
わずかな静けさの後、ほとんどささやくような声がした。
「…ケガがひどい、なんとか血は止まったが…」
アトラスは目をしばたたいた。この声は。
「ヴェオヴィス?」
うめき声。
ヴェオヴィスだ。アトラスは確信した。
「待ってろ、もうすぐだ」
ゴンドラの下部にハッチがある。そこまでたどり着けばヴェオヴィスをゴンドラから助け出し、軌道レールに引っ張り出す事ができるかもしれない。
だがどうやってハッチまでたどり着く?ハッチが開かなかったら?
いや、やるしかない。ゴンドラの上に登り、下へ降りる…軌道レールが重さに耐えることを祈って。
アトラスはゆっくりとゴンドラの天井に移動し、あらゆる変化に備えた。
呼吸は早くなり、耳の奥で鼓動が鳴り響く。酸素ボンベのストラップが肩に食い込み、一瞬ヘルメットごと下へ放り出したい気分に駆られたが、そうするには非常に努力が必要に思われた。もし死ぬとすれば、酸素ボンベがあろうとなかろうと大差はない。そう考えているうちにアトラスはほとんど到達していた。あとは足を天井の縁から出してゴンドラの中へ滑り込むだけだ。
言葉では簡単そうだが、いざ足を天井の縁からぶら下げて理解した。ゴンドラ内にうまく滑り込むのと、そのままシャフトを転落する可能性は五分五分だ。そう考えているうちにアトラスは手を滑らせてずり落ちた。
「うわあああ!」
思わず叫びながらかろうじてゴンドラのドア上部にある金属のバーを掴む。体は激しくねじれながらゴンドラの壁面に叩きつけられた。痛みで一瞬呼吸が止まる。足を宙にばたつかせながら必死でしがみつく。そして唸り声を上げながらなんとか体をゴンドラの中へねじ込んだ。
ゴンドラは今の激しい動きで大きく揺れ、軋む音を立てた。壁からボルトが、一本、また一本とはじけ飛ぶ音がする。突然の衝撃にゴンドラはわずかに落下し、アトラスが足から落下すると、再び衝撃に揺れた。ゴンドラはまだそこにあった。
アトラスは酸素ボンベを背に仰向けに横たわっていた。全身が痛む。だが生きていた。アトラスは頭を振り、狭いゴンドラ内部を見回した。手の届く位置にヴェオヴィスが倒れている。目を閉じ、呼吸は浅い。もともと肌は青白かったが今は灰のように白く、すでに死んでしまったかのようだ。
アトラスはゆっくりと注意深く体勢を変えて座り直し、ヴェオヴィスににじり寄った。
ひどい怪我だ。こめかみに大きな打撲傷。上腕には間に合わせの絆創膏が貼られており、血が染み込んでいる。だがそのままにしておくしかない。胸に耳をあててみると、もう呼吸は不規則になってきていた。
しばらくアトラスは呆然としていたが、数秒たったことに気づくと、急いで背中の酸素ボンベを下ろしてヴェオヴィスのそばに横たえ、ヘルメットを脱いだ。酸素の供給が問題ないことを確かめると、頭を持ち上げてヘルメットをかぶせ、自分の背にヴェオヴィスを背負った。
ゴンドラはしばらく揺れ、落ち着いた。
…大丈夫だな。
アトラスは瞬いた。ヴェオヴィスの手首。脈がない!
アトラスはヴェオヴィスに覆いかぶさり、何度も胸を圧迫した。しばらくするとうつ伏せにさせて再び圧迫を繰り返した。ヴェオヴィスはうめき声を上げ、再び呼吸を始めた。
アトラスは再び座り込んだ。出来る限りのことはした、だが…ヴェオヴィスは自力では動けないし、自分の力では彼の体重を支えてゴンドラから脱出し、シャフトの底まで降ろすことなど不可能だ。
かすかな振動があり、再びゴンドラが揺れた。
振動は次第に強くなり、アトラスはゴンドラが引っかかっている軌道レールから自由になっていることに気づいた。そして巨大な影がアトラス達を包み込むようにゆっくりと光が消えていく。そして大きな金属音とともに、ゴンドラが軌道レールから引きちぎられた。
ゴンドラは急激に傾き、アトラスは息を止めた。落下する!しかしゴンドラは宙に浮いたままだった。そしてゆっくりとゴンドラの壁が内側に潰れはじめた。
「うわああああああ!」
圧潰は止まった。プシューという音とともにゴンドラが前方に押し出される。そして奇妙な振動のリズムで、ゆっくりと降下しはじめた。
アトラスは笑いだした。安堵がアトラスを満たした。
それはカッターだった。一台のカッターがシャフトの壁を登って来て、軌道からゴンドラを引き剥がしてくれたのだ。今、ゴンドラはカッティング・アームに挟まれ、ゆっくりと下へ運ばれているところだった。
アトラスはヴェオヴィスが確実に呼吸をしていることを確認し、ゴンドラの壁面に頭をあずけて座り込むと、目を閉じた。
助かった。

評議会の決定が下された。
シャフトを修復し、上部のトンネルを完成させること。
そののち、封鎖すること。
地表への到達もなく、地上人との接触もなし。
この決定は会合冒頭のわずか十分間で議決された。結論は地震のあるなしに関わらず既に決まっていたようだった。だがそこにはドニの誇り、扱われるべき専門知識、修復の問題、完結への道のりなどの問題があった。
これは失敗だろうか?いや、ドニは失敗したわけではなかった。
一度行動の道筋を決めたら、ドニはそれをやり通す。それがドニのやり方で、千もの世代に渡るやり方だった。
いつの日か状況が変わり、評議会の気が変わった時、トンネルの封鎖は解かれ、地上への接触が行われるかもしれない。しかしそれがいつの日になるかどうか、実現するかどうか…誰も知るものはいなかった。
こうして冒険は終わった。
だが人生は続いていく。

評議会の決定から二週間が経った。
アトラスは、とある美しい庭園に設えられた椅子に座っていた。
ここはクヴィーア。ラケリ卿の所有であり、まるごと全体が邸宅となっている、ドニ大洞窟南部に浮かぶ島だ。
もう一つの椅子には、ラケリ卿の息子、ヴェオヴィスがゆったりと横になっている。すでに回復してはいるものの、肩には何重にも包帯が巻かれ、こめかみには傷あとがはっきり残っていた。
会話の後の静かな時間だった。アトラスは顔を上げて首を振った。
「ヴェオヴィス。お父上の提案についてはよくわかりました。大変ありがたいものですが…お断りさせていただきたい。私があなたの命を救った恩に報いたいと仰っていましたが、私のしたことは他の人も行ったであろう当然の行為であって、特別なことではありません。それに、私は自分の道は自分で切り拓きたいと思っているのです。自分の力でなにかを成し遂げたいのです」
ヴェオヴィスは微笑んだ。
「よくわかったよ、アトラス。君はやはり信用できる男だということも。そしてそれが物事をより円滑にするというのであれば、私もまた父からの提案を取り下げるとしよう。だが父にはそれは言わないでおいてくれないか」
アトラスは声をあげようとしたが、ヴェオヴィスは片手を挙げて遮った。
「君の言うように、『他の人』が同じように私を救ったかどうか、それはどうでもいい。事実として君は私を救った。その点において、私は君には借りができた。本当に感謝しているんだ。私は決して忘れないだろう。ああ、贈り物やパトロンの申し出をして君を困らせたりはしないから安心してくれ。だが、これだけははっきりさせておく。もし君が何かを必要とする時は、いいか、何でも、だ。それが何であれ、私の力でそれを叶えよう。それと…ああ、あとこれだけ!今から我々は対等な関係になろう。これからはお互い…気楽に話そうじゃないか。敬語もなしだ、いいな?いい加減ぎこちなくてな!」
アトラスは吹き出した。
「君もそう思っていたか?」
「ああ、命の貸しを作るのと借りを作るのでは、どちらが大変かは知らないが」
「ではそうしよう。恩義うんぬんは抜きにした、ただの友達だ」
「よし」
ヴェオヴィスはぎこちなく椅子から起き上がり、ドニ・スタイルでアトラスの両手を握りしめた。
「友達だ、いいな?」
「ああ、友達だ」
アトラスは微笑み頷いた。
「石が塵となる、その日まで」

第二章へつづく

The Book of Ti'ana © 1996 Cyan, Inc.

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