地雷博物館にて

--カンボジア、シェムリアプ

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 アキラの地雷博物館へ行く。
 アキラさんという人が個人で開いているという博物館は、博物館といっても小さな藁屋根の建物で、安全処理された地雷が雑然と積み上げられているような場所だ。しかし驚くことに、この地雷は全てアキラさんが処理したものだという。
 そもそも僕はアキラさんはその名前から日本人かな?とか思っていたけどれっきとしたカンボジア人で、正確にはアキ・ラーさんという。1998年に終結したカンボジア内戦後、主に都市部に注力される地雷処理のフォローできない地域、例えば農村の「家の裏に地雷がある」というような要求に一人で応えてきた人とのこと。こちらのページで詳しく知ることができます→アキラの地雷博物館
 地雷博物館では多くの地雷・不発弾が紹介されている。しかしそれよりも、並んで貼られている戦争風景の絵の1枚に僕は目を吸い寄せられた。それはクメール・ルージュに酷使される人々の絵だった。人々は牛馬のようにムチを浴びながら畑を耕し、その下に生きながらワニの檻に放り込まれ、食べられていく人々が描かれている。説明文には、「…能率の上がらない人は『おまえは教育が必要だ。学校へ行け』と言われ、二度と帰らなかった。『学校』はすなわち死を意味していた」とあった。
 僕には想像もつかない世界。文字通り僕は言葉をなくした。

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地雷博物館にて への4件のフィードバック

  1. ふぐ より:

    21世紀になっても民族や人種・宗教政治などで殺し合いをすると言うのは悲しすぎるよね、もっとも、日本人は平和ボケをしているのだと思うけど。対人地雷は1個200円くらいで入手できる、安値で危険な武器だそうです。NATO軍は完全に地雷を使用しなくなったと聞きますが、他の発展途上国では、いまだにバリバリの武器となってるみたいですね。被害者の多くは、争いと何も関係ない人々なのでとても悲しい気持ちになりますのう!この現実を見て初めてアジア~ユーラシア横断での民族の違い考えの違いがわかるのかもかもしれないですね!俺も一度は行ってみたい!(お腹弱いからな~)

  2. kaoru より:

    日本にいると【知らない、見ない、関心ない】って事が、『幸せ』って実感するね
     同情で語っては、いけないとわかっているけど・・・
    そう、真剣に考えると堂々巡り
    結局、なにも出来ないけど、
     グリの文章を読んでいる時だけでも、その人達の事を思ってみる。。。

  3. nagaha より:

    興味深いところに行ってるねー。俺も学生の頃ポル・ポトについて調べた事があって、いつか勉強しに行きたいなーって思ってました。
    俺が見たことあるのは、同じようにクメール・ルージュが奴隷を酷使しながら壕を作っている映像だったけど、クメール・ルージュの兵士が子どもだった。かなり洗脳されているらしく、死んだ目で労働者をライフルで殴っていた。子どもは結構残酷で、忠実だから使いやすいのだろう。許せなかったね。
    ふぐさんも書いてるけど民族・宗教問題ってどうしようもない現実があって、息苦しいよね。最近見た「ホテル ルアンダ」も民族間で起こった虐殺を描いたノンフィクション映画だったけど、これもかなり悲惨だった。
    現地の博物館とか、かなり考えさせられるんだろうなー。行きたいよ。

  4. junt より:

    日本に生まれて、戦争の影すら踏まなかった僕には戦争=悪というイメージしかないんですが、そんなもの当時の指導者にしてみれば譲れない信念に対する歯止めになんか一切ならないだろうし、さらに前線の兵士にとっては腹の足しにもならないだろうことは想像できます。
    そんな立場だからこそ言える言葉があるのかもしれませんが、結局「パンがなければお菓子を食べればいい」と変わりないのかも、というコンプレックスから逃れられないでいます。
    かおさんの仰る通り、堂々巡りです。そして答えなんか出ないから思考停止というのも、悔しいですね。今できるのは微々たる寄付と、知って、忘れないことくらいですが。
    ホテルルワンダは帰ったらぜひ見たい。

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